高齢者虐待– tag –
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在宅介護の回顧録
疑う力を養えよ
信じるより疑うほうが、はるかにパワー、労力が必要です。信じる方が楽だし、楽だから疑いもせず鵜呑みにするのです。常に、世界を疑ってかかれば、自分は孤独でないといけませんしね。ただ、これは死ぬまでに絶対に培わなければいけない力です。自分の子供ですら、たとえ我儘でも言ってくることを良かれと思って信じれば、彼らは騙してくるのです。次のフレーズは、よく覚えておいていただきたいのです。裏切りは、もっとも身近な人が起こす。だから辛さがあります。 -
在宅介護の回顧録
親への虐待、その罪深さを教えましょう。
本当に何も知らない、判らないというのは最悪の意味で幸せなのかもしれません。仏教をほんの少しでも学んで、ネットでも調べてみると五逆罪(ごぎゃくざい)というのがあるのを知ります。その1番目と2番目にくるのが母、父を殺害する罪だと知ります。実際に殺害していなくても、年老いた親が子に助けを必要としているのに、例えば無視をする、暴言を吐く。その行為は罪だと思いますか?、それとも罪に問われないと思いますか? -
在宅介護の回顧録
高齢者虐待とオレオレ詐欺は同じ弱点を攻撃する
令和の時代になっても絶えないオレオレ詐欺。ストーリーが巧妙になり、騙される人が後を絶ちません。当初のストーリーは、高齢の親御様の子供が、『オレオレ』といって電話をしてきて、アクシデントでお金が必要になったので用意して欲しいという内容でした。周囲からみれば、なんでそんなにも簡単に騙されるのだろうかと思ったはずです。でも、それが子を思う親の心。 確かに、こう書けば聞こえは良さそうです。でも、その心がすべての不幸の始まりです。 -
在宅介護の回顧録
虐待への静かなる逆襲
高齢になれば、身体は弱くなります。しかし、強くなるところを見落としてしまっています。それは、心です。それを清らかにして静かに虐待に対処していきます。年老いた親御様が子から虐待を受ければ、落胆するはずです。でも、それでは心が清らかではありません。たとえ大切に育てたとしても子は虐待してくるのが当たりまえ。このような観察眼が清らかな心です。動じていませんね。だから、虐待に的確、かつ有効な対処ができるのです。 -
在宅介護の回顧録
虐待を見破る目の覚まし方
やれ、孫が生まれればちょっかいを出し、カネを渡し、出産祝いをあげるわ、ランドセルを買い与え・・・挙句の果てには二世帯住宅を建てるわ、孫には生前贈与までする。あのね、そんなことしていて子や孫から尊敬されるとでも思いますか?感謝されると思いますか?もし、子や孫に対して、親がそんなことをしていて尊敬やら、感謝やらされるなら、家族全員で一丸となって最高の在宅介護をやってくれているはずです。でも、世の中を見渡してみてどうですか?現実が見えませんか? -
在宅介護の回顧録
高齢者虐待のやり口
無事に退院できた母は、当時の生活環境にケジメをつけて私との生活を希望します。 どのご家庭でも同じですが、親子の関係でも振り返ればいろいろあるはずです。しかし、助けを求められれば、二つ返事でオッケーします。同時に、母がこの決断をされて困るのが、それまで同居していた親族です。この退院から母との私の在宅介護生活が始まるまでの期間、彼らから受けてきた虐待が実に卑劣でした。その一部をご紹介しましょう。 -
在宅介護の回顧録
虐待する子と介護する子の違い
日本中に東日本大震災の影響が残る最中の正月に母は救急搬送され入院しました。それ以前から、母の生活に危機が迫る足音は聞こえていました。母とは電話でよく話をし、また私の事務所にもよく立ち寄ってくれましたから。しかし我慢強かった母も、この入院を機会に堪忍袋の緒が切れたのでしょう。他の親族による母への態度を看過できなくなっていきました。 -
イチオシの本
怒らないこと
令和の時代となっても、ハラスメントと呼ばれる行為がエスカレートしているのも、この≪怒り≫のコントロールを失っているからに他なりません。≪怒り≫をコントロールできない理由、それは人間の姿かたちをしてはいるけれども、精神が動物以下のまま、身体だけが成熟した生命のはびこりです。動物だって、気に入らないことがあっても不必要には怒りにまみれません。すぐに命を落とす羽目になるからです。それさえも判らず、≪怒り≫のコントロールさえもできていない現実。それが、ハラスメントという言葉に集約されているのではないでしょうか。在宅介護の現場では、それを高齢者虐待と称します。
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