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認知症症状を表面化させない視点
認知症を患うとこの世の終わりだ!みたいな先入観はまずおやめになったほうが賢明です。認知症にも種類があるので全てに当てはまるわけではありませんが、認知症を患った親を介護してみると最初に直面するのは、日によって状態が大きく異なるのに気づくはずです。ある日は、昔からの普段通りの様子に見受けられたかと思ったら、翌日には不穏となる。最初は、不思議でした。ただ、そのうち判ってくるのが、誰でも日によって、好調、不調はありますね。それが認知症を患うと少々、独特になるだけです。実は、このように判断できるようになる観察が、認知症症状を表面化させない視点なのです。 -
認知症症状を表面化させない介護の実践
認知症に罹患してもしなくても、あまり恐れる必要はないというのが私の経験則です。なぜなら、認知症は、脳の疾患であって、心は認知症にはなりません。心がしっかりしていれば、コミュニケーションも難しいものではない。認知症を患った実母の在宅介護実践と観察結果です。その理由?簡単です。コミュニケーションの基本は、「心を通わせる」。これに尽きます。 -
認知症による要介護3のコミュニケーション
認知症を患って要介護3と聞くと、どのようなイメージを持ちますか?老後に一人で暮らすのは、ちょっと難しいかもしれません。なので、年老いた親御様を在宅で介護するようになります。しかしながら、コミュニケーションが取れなくなるかといえば、十二分に可能です。コミュニケーションが取れれば、普通に親と子の暮らしが成立ちます。でも、それが出来ないのはなぜか?認知症により要介護3であった私の母とのコミュニケーションから解き明かしましょう。 -
親御様の在宅介護は好転しかないターニングポイント
年老いた親御様の在宅介護は、好転しかしないターニングポイントです。理由は、簡単です。自分の人生に≪期待≫は成り立たないとハッキリと自覚できるからです。介護する親御様が亡くなる年月日は、いつなのか?全く、わかりませんね。判らないのですから、預貯金を切り崩しているとすれば、かなりの節約生活を強いられ、経済的には苦しくなる一方になります。しかし、それが人生を好転させていくスイッチです。 -
認知症は脳の疾患であり、心は認知症に罹患しません。
認知症を患うと短期記憶を失いがちです。お湯を用意しようとやかんを火にかけて忘れる。それが当たり前の日常への変わっていきます。そのため在宅介護では目を離せなくなりがちです。介護する子もストレスが溜まります。場合によっては、コミュニケーションができない苛立ちから、高齢者虐待へとつながりかねません。この記事では、私流の対処方法をお伝えします。 -
認知症症状の観察から突き止める≪記憶≫とは何か?
さて、また一歩、認知症について切り込んでいきましょう。親御様が認知症に罹患すると、さまざまな認知症症状に直面するはずです。さまざまな認知症症状に困惑すると思いますが、記憶、特に短期記憶がおぼつなくなる症状に翻弄されると思います。理解しがたい状況に直面して、まず真っ先に思うのが、その症状から脱却できないかと試行錯誤するはずですが、ムリだと判るのにそう時間を要しません。それよりも、認知症症状を洞察することで、その病との向き合い方が見えてきます。 -
季節感を取り戻す@認知症
日付が判らなくなるとともに、季節感も判らなくなるのが認知症です。だからといって、暑い、寒いが判らなくなるわけではないのです。夏の暑い季節に着込んでしまい、汗だくにもなります。このような症状に陥るのも、一人でいると、季節感を感じて何を着衣すればよいのか、その答えを出すのが難しい状態になります。そこでどうフォローすれば、季節感に沿って生活できるのか、私の実践経験をお伝えします。 -
日めくりカレンダー、やめました。
認知症を患うと、日付や季節が判らなくなります。認知症症状に初めて接した頃は、驚きます。なんで、そのようなことも判らなくなるのかと。子としては、親にその程度のことを間違って欲しくない、そんな感情が生まれます。また、そのような症状が悪化しないようにと、様々なトレーニングも持ち出します。私も、そのような取組に励んだ時期があります。 -
私の母は認知症なのに、なぜ凛として道徳に強いのか?
在宅介護、というよりも年老いた母の生きるを支えているうちに、親子の関係性は深まりを見せていきます。親であり、私を産んで育ててくださって、巣立たせてくれて何十年というお付合いなのですが、母に対して、新しい発見が日々、生じます。これまでは、自分にとって母という存在ではありました。しかし、一人の人間として、生命として、なぜ、老いてもなお非常に凛とした姿勢でいられるのか。老いていくあるべき姿を私に教えているかのようでした。認知症を患っているにもかかわらず、なのです。 -
お母さん、私は介護『なんか』やってて良いのか?
母の言葉|いいかい。『なんか』とはなんだ!『なんか』とか言っているから何やっても上手くいかないんだ。何事も馬鹿にしちゃいけない。介護というのは、年を取れば誰にでも必要になる大事な取組なんだ。それを『なんか』と言っているうちは何も身に付かない。いいかい、介護を真剣にやってみな、わかるから。『なんか』とか言っているうちは何やっても上手くいかないよ。 -
認知症でも≪暮らし≫は十二分に楽しめます
≪生活≫と≪暮らし≫の違い。これを区別して在宅介護は運営できます。多くの人は、在宅介護は親の面倒を看るぐらいにしか捉えられません。マネジメントの視点、さらには経営者の視点を入れると、在宅介護の取組はキャリア以上のキャリアになるのですが、気づきませんね。確かに、親の面倒を看ることには違いないのですが、どう面倒をみるのか、その思想が大切です。この記事では、介護が必要な私の母に対して、私たち夫婦の二人でどのように『暮らし』を楽しんでいたのか。その様子をお伝えします。 -
認知症介護は『生活』と『暮らし』の違いが判っていないといけません
認知症介護を担う立場であれば、判っておかなければいけない違いがあります。それが『生活』と『暮らし』の違い。一例を挙げましょう。お家で焼きそばを作ろうと思って買い物に出かけて食材を求め金銭を支払い、帰宅します。ここまでは『生活』。 そこからどう美味しく作ろうか。よし鉄板焼きで家族でワイワイしながら分け合ってガーデンで食べよう!、これが『暮らし』です。認知症は『生活』が難しくなりますが、『暮らし』は難しくなりません。『暮らし』の品質で認知症の悪化を防ぐのです。 -
ご長寿の方々の会話を覗いてみませんか?≪おっぱいの話≫@デイサービス
この記事は、ぜひ世の子育て中のお母様方に聞いていただきたい内容です。介護施設と聞くと誰もが通いたいとは思っていないでしょう。ただ、別な側面から見ると普通に社会の縮図です。人同士の現実的なコミュニケーションが活発な場所です。そこには、日常の社会と変わらない喜怒哀楽の流れが存在します。この記事では、ある日、デイサービスから帰宅した実母の≪今日の出来事≫を紹介します。 -
初めての介護サービスの心得
私の初めての在宅介護となった実母の介護では、主としてデイサービスのお世話になりました。週に数回の頻度で、私のレスパイトの必要性に伴うものでした。年老いた親御様の介護サービスについて、実際に直面するまではネットの情報でその現実を想像するしかないと思います。現実としてお世話になるのとでは、また大きく違うものなので、この記事では、私が実母の在宅介護のキーパーソンとして初めて介護サービスを利用した観点から実母の介護サービスの心得を紹介します。 -
デイサービス初日
母がデイサービスに伺う初日を迎えます。とても不機嫌そうなご様子から、行きたくないんだなぁ、というのが伝わります。初めての場所で、すでにたくさんの人が集まっている場に、しかも誰も知らないところに飛び込んでいくのです。私だって、多少、緊張はします。介護サービス初日の利用者と家族の様子を紹介しましょう。