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在宅介護に品質管理の観点はとても有益
Qualityはなぜ必要で管理が必要で保証しなくてはいけないのか?それはモノ・サービス、また生活のしやすさといった点も、それを享受する大切な人の命を守り育むために必要であり、安心と安全の基準を満たし、それが永続的に維持できるようにする。この目的があるのです。でも、よく考えてみてください。誰にとっても、そのQulityが最も求めらる身近な現場があるのです。それは、大切な人の象徴でもある親御様への在宅介護です。在宅介護は弱くなっていく命を守り育む活動だからです。 -
介護離職は自由へのパスポート
毎年10万人前後の人が介護離職をすると聞きます。例えば東京都だと昭島市の人口が12万人弱です。相当な人数です。しかし、報道では未だにそれが問題だと報じられますが、違います。年老いた親御様の在宅介護は能力が高くないとできません。なぜなら、親の介護は人間で生まれてきた以上、人間以上で死ぬための登竜門的な取組だからです。これをチャンスと言い、実は相当な数の人が掴んでいます。 -
認知症を斬るー認知症と≪言われる≫のが辛いのですー
認知症に罹患すると、世間はその人を≪認知症を患った人≫とみなします。ハッキリと申し上げましょう。これ、≪その人じゃない≫、と言われているのと同じです。認知症と言われる本人がどれだけ辛いか。想像できますか?認知症に限りません。地球には病気で差別をする歴史があるのです。 -
認知症を斬るーなぜ心を学ばないといけないのかー
私は、アルツハイマー型認知症を患った実母の介護経験から、認知症を24/7で観察し、実母とのコミュニケーションを通じて、さまざまな認知症の知見を得ました。その上で、認知症は治りませんが、認知症症状を表面化させないためにはどうすればよいのか。そのノウハウを自分なりに獲得しました。そして、三度目の介護となる岳母との生活では、認知症を遠ざけ、介護を必要としない介護の実践を試み、その介護スタイルを構築しました。 -
介護を必要としないのが本当の介護
私は三度目となる岳母の介護で、どう病を遠ざけ、生活状況を良好に保つのかに注力をおきました。結果として、いわゆる世の中のインフラ的に提供されている介護サービスとしては、病院での入院生活を除き、岳母が亡くなる2週間程度のみ最小限の訪問医療、訪問看護の提供を受けるにとどまりました。合わせて、岳母には認知症を煩わせることもありませんでした。自らのこの取組を≪介護を必要としない介護≫として、3度にわたる在宅介護経験の集大成と位置づけています。 -
死は大きな決断の重要なツール
いま社会人と言われいる人たちが仕事をしている姿勢は、自分のためです。しかし、盛田さんや、ジョブズさんの仕事に対する姿勢は、他者よりも自分の幸せを優先したでしょうか?答えは、ノーです。年老いた親御様の在宅介護も同じことです。他者の幸せのために仕事をするのが、真の社会人です。その結果が自分にフィードバックされている程度の認知は、真の社会人の新人研修内容です。この心構えがある人に、親の介護をしながら、どうやって生活を成り立たせるのか?という疑問は生まれません。成り立たせるために心と頭があるのです。 -
死が本能の無能さを教える
岳母が≪介護で子供には迷惑をかけたくない。≫と発言された時です。私は≪堂々と介護されてください。≫と伝えました。そもそも、親が子に堂々と介護をさせるのは、あるべき在宅介護の姿です。この姿勢は実母の教えです。なぜなら、親は堂々と最期を迎えていく姿勢を子に示さなければいけません。これは死を遠ざけ生に執着していては出来ない姿勢です。 -
老いていく親が重荷ですか。
理性的に生きる。ご高齢の親御様を率先して介護する人の特徴です。ところが、社会は本能的に生きることを絶賛します。そのため親の介護は重荷でしかありません。もちろん、才能を発揮し成功を収めるべきです。しかし、≪真の成功者≫に求められるのは、本能的な行動ではありません。理性的な行動です。人間で生まれてきた以上、人間以上で死ななければ意味がない。お釈迦様が年老いた親御様のお世話を推奨される理由、知りたくありませんか? -
在宅介護 事始め・5つのステップ
ホント、中身が軽いんですよね。レベルが低いというか。人生は≪手放す≫、なんて誰もが口にする時代。しかし、せいぜいモノの断捨離です。本当に手放すというのは、対象物を手放すのではありません。対象への≪愛着≫を手放します。モノへの愛着はもちろん、親と子の関係にある愛着、そして身体への愛着。実りある在宅介護は、それら愛着を手放していくプロセス。そのやり方の準備が、この5つのステップです。 -
時代が変われば介護も変わる
そもそも、在宅介護の主役は誰か?私の答えは、親御様の介護をする子供。この人達が主役です。介護されるご高齢の親御様がいらっしゃって成り立つ役割です。しかし、在宅介護を終了した時に、親御様はこの世界に存在しません。在宅介護を完遂した果実は、その責務を果たした子に宿るからです。 -
親は役割
親として、子供にやってあげられることはやってやりたい。優しくもあり、当たり前のように思われるかもしれません。しかし、在宅介護ではその気持ちは、やがて束縛となり、お互いを奴隷化します。 -
幻想を打ち破る
岳母も生と死が常に隣り合わせである事実を無視して、生が延々と続くかのような希望を抱いていたことに気づかれます。死は、在宅介護において親と子が共に直視しなくてはいけない事実であり、実はスタートラインです。岳母の在宅介護のストーリーは、≪死≫への直視が出発点です。 -
在宅介護の集大成へ(岳母の介護)
在宅介護の回顧録は、私にとって三度目となった岳母の在宅介護の紹介から始めます。私にとって、在宅介護の集大成ともいえる取り組みの始まりですが、その出発点は何か?明確にしていきます。 -
3度目の在宅介護が始まる
岳母への生活支援・介護となる3度目の在宅介護が始りました。岳父とのお別れが、その始りのきっかけです。血がつながっていてもいなくても、私の介護の姿勢に変わりはありません。しかし、1点だけこれまでの在宅介護とは異なるところがあります。私にとって、在宅介護の集大成となります。 -
初めての在宅介護が始まる
私が20代か、30代のころ、親御様の介護は、突然に始まるというのをどこかで耳にした覚えがありました。当時は、気にも留めなかったのですが、私の場合、現実的にその通りになりました。サラッと書いていますが、2012年から介護が軌道に乗るまでの期間は、まさに苦労の連続といった時を過ごしています。