ヴィパッサナー瞑想– tag –
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在宅介護の回顧録
在宅介護にマインドフルネスー身体の動作に気づくー
毎朝のルーティンとして、ティッシュペーパーによる折り鶴が日課になった岳母。マインドフルネスの≪気づき≫の実践を抵抗感なくクリアしてくれました。≪折る、折る、・・・≫自分の動作への気づきが出来るようになると、日常生活のあらゆるシーンに応用できます。例えば、キッチンで包丁を片手に野菜を切るシーンはやりやすいと思います。≪切る、切る、・・・≫実は、このマインドフルネスの気づきの実践は、転倒防止や、体調がすぐれない時にも応用できます。 -
在宅介護の回顧録
在宅介護にマインドフルネスー気づきを入れるー
一日をマインドフルネスでスタートさせる80代の高齢者は、そう多くないですよ!そのためのマインドフルネスを真剣に学ぶ姿勢の重要性と、在宅介護に取り入れる実践について述べています。ちり紙での折り鶴を通じて、行為に意識を向けることや実況中継することの重要性を解説しています。マインドフルネスを家族で共有したことで、岳母は、米国西海岸の最先端技術企業でマインドフルネスを学ぶ社員たちと同等か、それ以上に時代の先端を歩んでくれました。 -
在宅介護の回顧録
在宅介護にマインドフルネスーちり紙で折り鶴ー
今では市民権を得た言葉として広く知れ渡っているマインドフルネス。でも、その内容を聞いてみると理解されている人は少ないようです。まず、マインドフルネスの源流は、お釈迦様の説かれたヴィパッサナー瞑想にあること。ですから、ヴィパッサナー瞑想とは何かをキチンと学ぶこと。当然、そこにはお釈迦様の教えもセットにあるので、それも学ぶこと。これらの基礎を固めてから、岳母との在宅介護生活にマインドフルネスを溶け込ませていったのです。 -
在宅介護の回顧録
認知症を遠ざけるー活き活きした心で脳を活発化させるー
認知症さえ遠ざければ、在宅介護ははるかに楽になります。そこで、この記事では、マインドフルネスが認知症予防に与える影響について、AIのClaude 3とディスカッションした記録を公開しています。AIの深化は目覚ましいですが、質問するこちらもその分野の専門性を深めていると有意義な議論ができます。しかも、その議論のプロセスと結果は多くの人にとって有益なものになります。認知症だけは避けたい!、そう思われるなら必読の内容です。 -
イチオシの本
現代人のための瞑想法
この著書は、岳母への介護で、その生活において瞑想実践を取り入れてもらうにあたって最初に一緒に読んだ本です。岳母は80代後半でしたが、抵抗感なく読み進めてくれるほど、平易に教えてくださっている内容です。三度目となる岳母の介護は、マインドフルネスを存分に取り入れたものであったと言っても過言ではありません。私がお伝えしている≪介護を必要としない介護≫の実践には不可欠な取り組みでもあるのです。 -
イチオシの本
がんを治す心の力
私にとって三度目となる岳母の介護では、この著書の内容も参考にしながら、ヴィパッサナー・プラクティスを取り入れていきました。実母の最初の介護では、≪認知症症状を表面化させない介護の実践≫でしたが、三度目となる岳母の介護では、≪介護を必要としない介護の実践≫を狙いました。その中心に据えたコンセプトは、認知症に罹患させない。その目標を入り口として、ヴィパッサナー・プラクティスを取り入れ、認知症を遠ざけていく生活を実践していきました。 -
イチオシの本
怒らないこと
令和の時代となっても、ハラスメントと呼ばれる行為がエスカレートしているのも、この≪怒り≫のコントロールを失っているからに他なりません。≪怒り≫をコントロールできない理由、それは人間の姿かたちをしてはいるけれども、精神が動物以下のまま、身体だけが成熟した生命のはびこりです。動物だって、気に入らないことがあっても不必要には怒りにまみれません。すぐに命を落とす羽目になるからです。それさえも判らず、≪怒り≫のコントロールさえもできていない現実。それが、ハラスメントという言葉に集約されているのではないでしょうか。在宅介護の現場では、それを高齢者虐待と称します。 -
イチオシの本
こころは原子爆弾ーその巨大なパワーを有効に使う方法
介護でお世話をした岳母も熱心に読んでくれた一冊。強く影響を受けたのが命の発見です。それも、死を直視しなければ見えてきません。つまり、命とは、生きている私たちと、ご遺体との差分。これが判った時の衝撃をよく覚えています。この命こそが心であり、相対的にしか判らない対象を直接的に観察するのがヴィパッサナー瞑想であると判った時には、瞑想実践をしない理由がなくなりました。 -
初めてご訪問の方へ
死は生きるを詳らかにする
多くの人は、次のデザイン・コンセプトを骨格に人生を作り上げています。『私が死ぬわけない』。なので、人生100年時代というキャッチフレーズに踊らされ、何十年後の未来を心配します。でも、明日、死ぬかもしれないのに、明後日の心配をして意味があるでしょうか?実は、これがよく判っていないと、親御様の介護は上手くいきません。
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