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介護と仕事を相互に活かす
老いは苦しく厳しいから心を合わせ幸せになる
在宅介護の機会を問題視しかできないうちは、それをチャンスとして見ることはできないでしょう。病を抱え、老いて、最期を迎えていくプロセスは、高齢者に限った話ではありません。今を生きるすべての人に共通した現象です。それを直視しないから、生きるとはないかがよく判らない。生きるとは何かも判らずに、幸せを求める姿は滑稽でしかありません。 -
在宅介護の回顧録
介護という言葉。AIとの議論で導く差別的でない使用は世界を変える。
この記事は、在宅介護に頑張る方々、介護関係の仕事に携わる方々、すべての方々に目を通してほしいと思います。ご自身が、いつかやがて高齢になったとき、≪介護≫されたいと思いますか?私は、思わないです。なぜ、拒否反応をするのか?それは、≪介護≫という言葉が指し示す対象が、≪弱者≫という前提だからです。それは、差別的であり、今、日本中で多くの人々の口から発せられる≪介護≫という言葉に尊敬は無く、弱者扱い、厄介者扱いの意図しかありません。 -
在宅介護の回顧録
介護という言葉は差別的です
一般的に広まってしまっている≪介護≫という言葉は差別的です。親御様の介護であれば、親御様が心身ともに弱っていないといけません。つまり、弱者とみなす存在がいないと成り立たない言葉が≪介護≫です。そのため、もし本当に介護という言葉を差別なしに使うのであれば、介護が必要とならない支援をする活動が、親御様への本物の介護になります。この記事では、本当の介護とは何か?それをズバリと解説していきます。 -
在宅介護の回顧録
在宅介護にマインドフルネスー身体の不調(よだれ)に気づくー
在宅介護で親と子によるマインドフルネスの実践は、さまざまな在宅介護シーンで有益です。今日、お伝えするのは親の体調で不調に気づき、改善するアプローチです。病院に行くほどでもないけれども、改善したいといった状況です。もちろん優れない体調の裏には、重い病が隠れている場合もありますから、まずはドクターの診察を受けるのが先決です。でも、原因がよく判らないので様子を見ましょうといったときの私の実践例を紹介します。 -
お知らせ
サイトへのご訪問をいただきありがとうございます。
ウエブ・サイトを開設してから、半年強の時間が経過しましたが、お陰様で徐々にサイトへのアクセスが増えております。 記事は全て、わたし、さくら けんのオリジナル文章で、独自の経験と調査に基づいて記述してしています。 在宅介護が始まる前に... -
介護と仕事を相互に活かす
ペンではなく頭脳になれ!在宅介護はそう促します
初めて年老いた親の在宅介護をやると経済的に苦しくなるかもしれません。でも、そのような苦しい気持ちを在宅介護の経験の無い友人に打ち明けるのはやめましょう。≪働いた方がいいよ≫と言われるのがオチです。これは、あなたがペンだとしましょう。ペンとして機能できないのに、ペンとして使えるようになれと言われているのと一緒です。そうではありません。その代わりが始まったのです。それはペンではなく、頭脳としての機能を要求されています。 -
在宅介護の回顧録
在宅介護にマインドフルネスー身体の動作に気づくー
毎朝のルーティンとして、ティッシュペーパーによる折り鶴が日課になった岳母。マインドフルネスの≪気づき≫の実践を抵抗感なくクリアしてくれました。≪折る、折る、・・・≫自分の動作への気づきが出来るようになると、日常生活のあらゆるシーンに応用できます。例えば、キッチンで包丁を片手に野菜を切るシーンはやりやすいと思います。≪切る、切る、・・・≫実は、このマインドフルネスの気づきの実践は、転倒防止や、体調がすぐれない時にも応用できます。 -
在宅介護の回顧録
在宅介護にマインドフルネスー気づきを入れるー
一日をマインドフルネスでスタートさせる80代の高齢者は、そう多くないですよ!そのためのマインドフルネスを真剣に学ぶ姿勢の重要性と、在宅介護に取り入れる実践について述べています。ちり紙での折り鶴を通じて、行為に意識を向けることや実況中継することの重要性を解説しています。マインドフルネスを家族で共有したことで、岳母は、米国西海岸の最先端技術企業でマインドフルネスを学ぶ社員たちと同等か、それ以上に時代の先端を歩んでくれました。 -
在宅介護の回顧録
在宅介護にマインドフルネスーちり紙で折り鶴ー
今では市民権を得た言葉として広く知れ渡っているマインドフルネス。でも、その内容を聞いてみると理解されている人は少ないようです。まず、マインドフルネスの源流は、お釈迦様の説かれたヴィパッサナー瞑想にあること。ですから、ヴィパッサナー瞑想とは何かをキチンと学ぶこと。当然、そこにはお釈迦様の教えもセットにあるので、それも学ぶこと。これらの基礎を固めてから、岳母との在宅介護生活にマインドフルネスを溶け込ませていったのです。 -
在宅介護の回顧録
認知症を遠ざけるー良い集中力を鍛え、悪い集中力に嵌らないー
高齢になっても異性を意識しようといったスローガンを掲げる人もいますが、それは単に興奮状態の心で脳を酷使しているだけではないでしょうか?興奮は、興奮を呼ぶので集中力が増しているかのように思うかもしれません。でも、脳はダメージを蓄積します。徹夜で麻雀して、興奮してゲームに集中すると思いますが、あの状態が脳に良い影響を与えると思いますか?高齢者に向けて脳の活性化などと称しているフレーズの中身は、よく精査しないといけません。 -
在宅介護の回顧録
認知症を遠ざけるーありのままを見るー
晩年に湧き出る問題や課題の数々。 感じていらっしゃる方も多いです。その問題や課題を解決するコツは、どうにかしようと思うのではなく、手放す。気がつかなくてはいけないのは、どうにかできる現実など一つも無いという事実の発見です。ありのままを観察できれば、それが判ります。例えば、親子の問題。あれだけ手塩にかけた子供が、自分の面倒を看ない現実に直面すれば、悲嘆に暮れます、おそらく。最も自分の思い通りにしたい現実ほど、そうならないと思うはずです。これがありのままの世界です。 -
イチオシの本
無常の見方・苦の見方・無我の見方
ずっと日本にありながら、最も理解が及ばない範疇が私にとっての仏教でした。特に、無常・苦・無我と聞いて、明確に説明できる人なんて出会ったことすらありませんでした。でも、スマナサーラ長老のご著書に出会い、例えば、この記事で紹介している無常・苦・無我を学ぶとき、きっと後悔されると思います。≪ なんでもっと早くに出会わなかったんだ! クッソ~ ≫と。これまでに読んできたどんな本よりも、私がおススメしたいご著書です。目から鱗のはずです。 -
在宅介護の回顧録
認知症を遠ざけるー湧き出る晩年の問題から逃げないー
病気も同じです。原因は自分で作っている。医者は病気を判別し治癒させる方策も知っているでしょう。しかし治せるのは自らの心が持つ自然治癒力が主でありドクターの協力は従です。なぜなら、病を作ったのも自らの心なのですから、治癒できるかどうかもその心にかかっているのです。これまでの生きたい気持ち、死を避けたいが故の判断が人生の終盤においてどう課題として降りかかってきているのか?課題を直視すればそれを生じた心を改めケジメをつける。認知症を遠ざける取組です。 -
在宅介護の回顧録
認知症を遠ざけるー要介護認定されたいですか?ー
お聞きしますが要介護認定されたいですか?岳母の在宅介護では≪介護を必要としない介護≫を目指しました。当たり前ですが、世の中の介護サービスを受けるには要介護認定が必要です。しかしその必要性を求める疾患が無い以上、介護サービスは必要としません。多くの人が勘違いしているのが高齢になれば介護サービスがあるから安心と思いがちですが違います。介護サービスをできるだけ必要としないライフスタイルの確立が本当の安心なのです。 -
介護と仕事を相互に活かす
在宅介護はトップに立つ必須履修科目です
もし本能のままに総理大臣や都知事をやるとどうなると思いますか?答えは今の社会を見渡してみてくださっている通りです。逆説的に考えてみてください。つまり、トップに立つ、その素養は≪理性≫です。そして、理性は年老いた親御様の在宅介護で育ちます。ライオンなどこの地球上にいる人間以外の生命は年老いた親の面倒を看ません。唯一、人間だけが年老いた親の介護をします。その重責を担う原動力が≪理性≫です。≪理性≫の無い人間の姿カタチをした生命体にトップがつとまると思いますか?