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季節感を取り戻す@認知症
日付が判らなくなるとともに、季節感も判らなくなるのが認知症です。だからといって、暑い、寒いが判らなくなるわけではないのです。夏の暑い季節に着込んでしまい、汗だくにもなります。このような症状に陥るのも、一人でいると、季節感を感じて何を着衣すればよいのか、その答えを出すのが難しい状態になります。そこでどうフォローすれば、季節感に沿って生活できるのか、私の実践経験をお伝えします。 -
日めくりカレンダー、やめました。
認知症を患うと、日付や季節が判らなくなります。認知症症状に初めて接した頃は、驚きます。なんで、そのようなことも判らなくなるのかと。子としては、親にその程度のことを間違って欲しくない、そんな感情が生まれます。また、そのような症状が悪化しないようにと、様々なトレーニングも持ち出します。私も、そのような取組に励んだ時期があります。 -
私の母は認知症なのに、なぜ凛として道徳に強いのか?
在宅介護、というよりも年老いた母の生きるを支えているうちに、親子の関係性は深まりを見せていきます。親であり、私を産んで育ててくださって、巣立たせてくれて何十年というお付合いなのですが、母に対して、新しい発見が日々、生じます。これまでは、自分にとって母という存在ではありました。しかし、一人の人間として、生命として、なぜ、老いてもなお非常に凛とした姿勢でいられるのか。老いていくあるべき姿を私に教えているかのようでした。認知症を患っているにもかかわらず、なのです。 -
お母さん、私は介護『なんか』やってて良いのか?
母の言葉|いいかい。『なんか』とはなんだ!『なんか』とか言っているから何やっても上手くいかないんだ。何事も馬鹿にしちゃいけない。介護というのは、年を取れば誰にでも必要になる大事な取組なんだ。それを『なんか』と言っているうちは何も身に付かない。いいかい、介護を真剣にやってみな、わかるから。『なんか』とか言っているうちは何やっても上手くいかないよ。 -
新年にあたり
いつも当ウエブサイトをご覧いただき誠にありがとうございます。 私の三度の在宅介護経験が役に立つのであれば幸いと思い、開設したウエブサイトですが、お陰様で1年強にわたり更新を続けられました。 当初の目標では、まず1年間、サイトの更新が継... -
在宅介護でスイカを育てる≪暮らし≫の楽しみ方
介護施設のレクリエーションの一環として、畑仕事をやっているといった事例もお聞きします。一軒家タイプのデイサービス施設では、庭先をつかってプランターでミニトマトを植えるなどの取組もおこなわれています。このような取組は、家庭でも可能です。私の在宅介護ではスイカの種がキッチンの排水溝から発芽しているのに目をつけ、家族3人で育ててみました。 -
認知症でも≪暮らし≫は十二分に楽しめます
≪生活≫と≪暮らし≫の違い。これを区別して在宅介護は運営できます。多くの人は、在宅介護は親の面倒を看るぐらいにしか捉えられません。マネジメントの視点、さらには経営者の視点を入れると、在宅介護の取組はキャリア以上のキャリアになるのですが、気づきませんね。確かに、親の面倒を看ることには違いないのですが、どう面倒をみるのか、その思想が大切です。この記事では、介護が必要な私の母に対して、私たち夫婦の二人でどのように『暮らし』を楽しんでいたのか。その様子をお伝えします。 -
介護施設に預けた親が亡くなった時、自分に何が残るのか。考えたことがありますか?
年齢如何に関わらず、あなた様にお聞きします。『あなたは、本当に介護施設のお世話になりたいですか?』もちろん、独居や子供がいらっしゃらないご家庭、または老々介護といった状況であれば、介護サービスの介入は非常に助かります。ですから、そのような最も必要とされる境遇の方々に介護サービスは特化すべきというが私の考えです。一方で、子による在宅介護が可能であれば、それを主として、公の介護サービスは従という位置づけで力を借りるべきと考えます。 -
≪ 命 ≫を見たことがありますか?
介護が身体介護で語られているうちは、その本質は判りません。在宅介護は命のレッスンを受ける場です。命を見たことがありますか?『自分の』として捉えられる命、それは自分自身の命以外に、親子の間以上に濃いものはありません。だから、在宅介護は≪命≫レッスンの場として成り立ちます。在宅介護は、その命が消えていくのが判っていながらも、そのプロセスを懸命に支えますから、初めて命が見えてくるのです。 -
認知症介護は『生活』と『暮らし』の違いが判っていないといけません
認知症介護を担う立場であれば、判っておかなければいけない違いがあります。それが『生活』と『暮らし』の違い。一例を挙げましょう。お家で焼きそばを作ろうと思って買い物に出かけて食材を求め金銭を支払い、帰宅します。ここまでは『生活』。 そこからどう美味しく作ろうか。よし鉄板焼きで家族でワイワイしながら分け合ってガーデンで食べよう!、これが『暮らし』です。認知症は『生活』が難しくなりますが、『暮らし』は難しくなりません。『暮らし』の品質で認知症の悪化を防ぐのです。 -
ご長寿の方々の会話を覗いてみませんか?≪おっぱいの話≫@デイサービス
この記事は、ぜひ世の子育て中のお母様方に聞いていただきたい内容です。介護施設と聞くと誰もが通いたいとは思っていないでしょう。ただ、別な側面から見ると普通に社会の縮図です。人同士の現実的なコミュニケーションが活発な場所です。そこには、日常の社会と変わらない喜怒哀楽の流れが存在します。この記事では、ある日、デイサービスから帰宅した実母の≪今日の出来事≫を紹介します。 -
初めての介護サービスの心得
私の初めての在宅介護となった実母の介護では、主としてデイサービスのお世話になりました。週に数回の頻度で、私のレスパイトの必要性に伴うものでした。年老いた親御様の介護サービスについて、実際に直面するまではネットの情報でその現実を想像するしかないと思います。現実としてお世話になるのとでは、また大きく違うものなので、この記事では、私が実母の在宅介護のキーパーソンとして初めて介護サービスを利用した観点から実母の介護サービスの心得を紹介します。 -
70歳から楽になる 幸福と自由が実る老い方
家の片付けを断捨離と称して、テレビ番組も報じられます。いま必要なのか、不必要なのか。不必要であれば処分する。それだけのことですが、物品を見ては妄想を語りだすので厄介だろうな、と思いますが、それを見て楽しませてもらっています。さて、物品よりもはるかにレベルの高い≪手放す≫を要求されるのが在宅介護の現実であり、実際です。ぜひ、この書籍からその難易度を早めに学ばれることをお勧めします。 -
デイサービス初日
母がデイサービスに伺う初日を迎えます。とても不機嫌そうなご様子から、行きたくないんだなぁ、というのが伝わります。初めての場所で、すでにたくさんの人が集まっている場に、しかも誰も知らないところに飛び込んでいくのです。私だって、多少、緊張はします。介護サービス初日の利用者と家族の様子を紹介しましょう。 -
寄添う介護?それはテキトーに頷いているだけです
仕事のパートナーをはじめ、さまざまなパートナーシップを結んだうえで人生が流れます。親御様が認知症を患い要介護となり、介護サービスを受けようと思えば、まずケアマネ、次に介護施設とさまざまなパートナーシップを結ばないといけません。パートナーシップを結ぶ相手の基準は、さまざまかもしれませんが、唯一、絶対、これは外せないという基準をこの記事ではお伝えします。