介護施設に預けた親が亡くなった時、自分に何が残るのか。考えたことがありますか?

 年老いた親御様の介護は、子による在宅介護が基本です。

 公の介護サービスは、その支援として考えるのが本筋であり本流です。

 なぜなら、公の介護事業は国や自治体の支援が入っているからです。要は、他人の世話になっています。日本人としての生活は他人にはできるだけ迷惑をかけない、という暗黙の了解の上にお互い様が成立っています。

 また、ネット記事や、介護施設の職員らによる情報発信によれば、介護のプロに任せるべきといった内容も散見されます。そもそも介護のプロとは、何でしょうか?少なくとも、私の親への介護は、他の誰よりも私がプロです。

 もう一つ、年齢如何に関わらず、あなた様にお聞きします。『あなたは、本当に介護施設のお世話になりたいですか?』

 もちろん、独居や子供がいらっしゃらないご家庭、または老々介護といった状況であれば、介護サービスの介入は非常に助かります。

 ですから、そのような最も必要とされる境遇の方々に介護サービスは特化すべきというが私の考えです。一方で、子による在宅介護が可能であれば、それを主として、公の介護サービスは従という位置づけで力を借りるべきと考えます。

もくじ

親と一緒の『暮らし』ができない

 いま、こうして自分があるのも、両親のおかげでしかありません。

 私が産まれた時から、歩けず、話もできずにありながらも、一度も雨ざらしで過ごす日々が続いたり、水を一滴も飲めないという状況に陥ったりといった環境にさらされたことがありません。

 これは、しっかりと両親が育ててくれたからに他ありません。

 3人の親を介護し、見送りましたが、時間が経つにつれ、以前より増して感謝の念は深まります。

 私の両親ふたりもまた、どれだけ逆境に立たされ、困難に力を合わせて乗り越えてきたであろう歴史は、語られなくても想像できます。

 その後ろ姿を、ずっと見てきての今日です。

 それでも、私を必死になって守りながら、道徳に反することなく、生きる困難さに立ち向かう背中を見せてくれたことは、無形の財産です。

 それだけの恩が、二人の人間に対して、私にはある。

 だから、その二人が老後を迎えていよいよ助けが必要になれば、自らも独立した上で、当たり前のように助ける。

 これが介護の本懐です。

 言うまでも無いことですが、無償です。

 でも、これをできない人が実に多いのが現実です。

 簡単にいえば、今、生きているのが当たり前にしか思えない。

 これを馬鹿と言います。

失敗を恐れ、チャレンジから逃げ、批判しかしない人間に介護はムリです

 なぜ、失敗を恐れるのか?

 自分さえよければ良い。

 自分が可愛い。

 良い悪いは別にして、サラリーマンに多いです。

 会社勤めは、失敗が出来ないのです。

 失敗したら、周囲から疎まれ、足を引っ張られ、出世街道から外されます。

 なので、失敗は絶対にしたくない。

 チャレンジして、失敗した時のリスクを考えれば、自ら発案した事業の責任を積極的にとるよりは、他人の事業をこき下ろして横取りして成果をかすめ取って生き残りを考えます。

 かすめ取って一時的には、生き残っても、リスクを積極的にとる経験のない砂上の楼閣的な成果なので、やがて組織は衰退します。

 在宅介護も、このメカニズムと一緒です。

 在宅介護は、親子による共同事業であり、その親子に限ったオリジナルな最期の無形財産を構築します。

 その無形財産は、親御様は生老病死を子に学ばせ、死を学ばせます。

 死の学びは、誰もがマスターしなければいけない科目ですが、自分さえよければ良い人は、知らず、出来ずです。

 自分さえ生きられれば良い、といった行動メカニズムが働きます。

 親の介護なんかしていたら、自分の仕事がおぼつかなくなる。

 仕事を理由に、親御様を施設に預けるわけですが、現代社会では正当性があると認識されている理由ですね。

 でも、よく考えてみてください。

 何のために仕事をしているのか。

 仕事に命を懸けるフリをして、助けなければいけない命を見捨てるのが、一流の人間がやる行為でしょうか?

 会社でも、失敗を恐れてチャレンジもせず、他人批判を繰り返しているだけですよね!?

 助けなければいけない命を見捨てて、命を懸けなければいけない仕事はないし、そんな人が仕事に命は懸けられません。

 親を介護施設に預けて、親が亡くなってしまった瞬間、自分に何が残るのか?

 考えることすらできないでしょう。

在宅介護の完遂は真のエリートの証です

 『産んでくれてありがとう。』

 かなり昔の話ですが、私は、年齢が若くして起業するといった人達に、このフレーズを親に伝えられるようにと教えていた頃がありました。

 なぜなら、このフレーズを、心底、ナチュラルに言えるためには、今の逆境を乗越え、成功を掴み取らなければ決して出てこないのです。

 初めて自分のアイデアで商品やサービスを開発して売り上げを建てる。

 例えば、リスクを積極的に受け入れながら起業する経験をして、頑張って、頑張って、逆境を乗越え、目指す目標に向かって歩んでいると、自ずと両親への感謝が芽生えます。

 在宅介護は、この感謝の気持ちの延長にある取組です。

 なので、在宅介護は真のエリートの証なのです。

 なにかしらの成功体験も無い人には、在宅介護はできないのです。

 介護離職なんて、怖くて仕方がないはずです。

 この記事をアップした理由は、在宅介護は、非常に負担になるから介護施設に預けるべきといった論調が渦巻いているからです。

 それだけならまだしも、今度は介護施設の人員不足を口実に外国人介護従事者の受け入れをなし崩し的に肯定化しようとしています。

 さらには、IT化を推進して、施設内の介護職員の耳にインカムをつけて、常時、誰もがフロアの状況を共有できるようにするといった取組まで行われているようです。

 では、お聞きします。

 長寿を迎えられた方々は、そんな介護環境を望んでいますか?

 本当は、自分の家で天寿を全うしたいのではないですか?

 外国人介護従事者と話をして、歴史・環境背景が全く異なるのに自分のことを理解してくれると思えますか?

 耳にイヤホンつけてフロア全体の状況把握につとめながら、目の前の利用者様のケアに集中できるとでも思っているのでしょうか?ながら仕事で出来るケアでしかないのが介護作業とみなされるうちは、いつまでたっても介護のプロは、自称でしかありません。

 少子化なのに定員割れする大学は閉鎖されず外国人に金を払ってまで入学させる教育行政と同様、介護の分野もまた、悪しき方向の流れにあると観察しています。

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