子に対する愛着をテーマにしたお話は、岳母との間でしばしば交わされました。
というのも、≪ 子育ての結果は介護に返る ≫
その現実を目の当たりにしているためです。
岳母にとって、深く耳を傾けてくれたのが身近での経験を追認できるストーリです。
岳父、岳母、そして私の実母が、お互いに信頼して交流していたのが幸いしました。
子に対する愛着では、岳父・岳母の子に対する接し方と、私の実父・実母の子に対する接し方の比較をしながら、愛着を手放す重要性の理解を深めていきました。
子への愛着は18歳まで
親が子に愛情深く接していくのは、動物でも、人間でも同じです。
しかし、どこかで愛着を手放さないといけません。
手放さないままにするとどうなるか。
子を奴隷にするだけです。しかも、気がつかない。
これは、とてつもない弊害を生じます。
動物の世界では、子に死が迫ります。
人間の世界でその一例を挙げれば、子が親の奴隷のままだと、親を介護する判断を自らの意思でできなくなります。
また、愛着を手放すというと必ずクレームを受けるのが、親子の縁を切るだとか、他人行儀でよそよそしくするということなのか、という勘違い。
その頭の悪い発想こそが愛着のなせる業なのですが、実際には、困ったときに相談があれば、力を貸すような距離感で見守ります。
それを子供が高校を卒業するぐらいまで完結する。
親子の人間関係に、そんな距離感が取れれば理想です。
エピソード
親子関係の理想の距離感は、私の実父が言葉にせずとも行動で示してくれました。
そんなエピソードをひとつ、ご紹介します。
それは、私が高校を卒業する頃のことです。
父兄が教室に集められて、担任の教諭が卒業に向けて3年間の総括的な話をされたそうです。
集まっている親御様は、ほとんどがお母様ばかりですが、どういう風の吹き回しか、わたしの家では、実父が参集に応じました。
担任教諭の話が終わると、集まったお母様方は、子供がお世話なった礼を次々に言葉にしたそうです。
その言葉のほとんどが『うちの子は、どうたらこうたら・・・』、『うちの子は、あ~だのこ~だの・・・。』といったフレーズばかりだったそうです。
その時、担当教諭が、これもまたどういうわけか、実父にコメントを求めたそうです。
私の父は、しかたなく口を開いて、こう言ったそうです。
そうやって、いつまでも『うちの子』、『うちの子』、と自分のモノのように子供と接していては、男として一人前にならんよ。
高校を卒業すれば、もう18歳にもなる。
甘やかすのもいい加減にしないと。
そうしたところ、教室は、シーンと静まり返ってしまい、天使のお通り。
そのままお開きとなったそうです。
この話は、私が高校を卒業してしばらくして、実母から聞きました。
私の高校は男子校だったのですが、さすがは私の父、と思ったものです。
もっとも、担任教諭もこうなる展開を見越しての確信犯ですね。
愛着を手放してくれたから自由を求められる
このような10代を過ごした私は、高校を卒業するあたりから、自由を求め、束縛から脱したい気持ちをそのままに人生をここまで歩んできました。
束縛を解き放てたのは、私が10代早々に私への愛着を両親が手放してくれたからこそです。
そのため、私にとって、親の愛着というテーマは、とても見えている内容です。
どの親御様も良かれと思って、子供に対してとてつもない期待をかけます。
しかし、どれだけ良かれと思って、良い学校、良い会社といった親の期待を押しつけるような育て方をしてきたとすれば、要注意です。
介護以前に、さまざまな問題を内在した子が育っている可能性は高いです。
そして、最後に一つだけ、知っておいていただきたいのが、この≪ 自由 ≫という言葉の意味です。
自由とは、奴隷ではないという状態ですが、奴隷ではないからこそ、親御様の介護を子が自らの意思で決断できるようになります。
子の奴隷解放は、親が子に対する愛着を手放すところから始まります。
私の経験も踏まえた見解では、そのタイムリミットは、子が18歳になるまでです。
それでも遅いのですが、今の時代、介護で子が親への暴言、暴力を振るうニュースを見聞きするたびに、そもそも出来ていない。
私は、親御様の在宅介護を担う時、親離れ子離れは必須です、とお伝えしますが、実はそのタイミングはとてつもなく遅いのです。
2024年1月1日。
能登半島を巨大地震が襲い、多くの人たちが被災し、命を亡くされました。ご冥福をお祈りしております。
さて、この地震では群発地震が継続し、被災による復興も時間を要することことから、疎開的な行動がとられるようになりました。
子供たちは親元を離れて、安心、安全に学業ができる地域へ避難されます。
その時を報じた映像のワンシーンです。
子供との別れに涙する母親に、小学生か、中学生でしょうか、その子供は次にように言葉をかけました。
子供:『がんばってね!』
私は、このシーンを拝見して、この地域の未来は力強く復興すると確信しました。