ある日突然具合が悪くなる

 さて、私にとって三度目となった岳母の介護ですが、集大成といえる取組となったのはマインドフルネスの導入です。

 岳母と気づきの実践を日常に取り入れることで、認知症への恐れはなくなりました。

 認知症を患った親御様の介護をした経験のある人なら判りますが、ある日、突然のように認知症が発症するかのような驚きもありますが、振返ってみれば、その前から少し変だな、といった兆候があったはずです。

 ところが、三度目となる岳母の介護では、それが全く見受けられません。

 この原因をマインドフルネスと合わせて、定量的、学術的に探究したいところですが、ひとつの家庭の出来事でしかないため汎用性はなく、標準化もできないのが残念なところです。

 しかし、いくらマインドフルネスを在宅介護に取り入れたからといって、老いは止まりません。

 岳母もまた、最期を迎えていきます。昨日まで元気だったのに、ある日、突然、病の悪い症状が露呈します。

 それが最期を導く病となるのですが、この最期を導く病は、どれほど腕の良いドクターであれ止められません。

 なぜなら、誰もが例外なく、身体の最期に向かって生きているからです。

 ハッキリと申し上げれば、誰もが例外なく死に向って生きている。

 ところが、この事実を認め、瞬間、瞬間、その一瞬が崩れ去るような実感を持って生きている人は、極めて少ないのです。

 私は、在宅介護の責任を担う意義というのは、最期に向かっていくプロセスを親と一緒に伴走し、最期に向かっていく事実をしっかりと親に伝えるのが第一。
 その上で、親子で共に最期を見据え、親には落ち着いて、安らかに、そして、≪ ありがとう。 幸せになりなさい。 ≫という気持ちを子に伝えられるぐらいに、前を向いて旅立ってもらうことと心得ております。

 最期を迎えていく親が、かわいそうだからとか、気の毒だからとか、一人でなくなるのはさびしいだろうからといったような、人を弱者扱いするような態度を決して取りません。

 少なくとも私が介護した三人の親たちは、死を恐れ、子にくだらない心配をされるような情けない生き方をしてきていませんから、最期の最期で弱者扱いするなど、もってのほかです。

 それほど、親には自立して最期を迎えていただく。

 その支援こそが、年老いた親御様の在宅介護の責任を担う本質ではないでしょうか。

 さて、三度目となる岳母の介護では、マインドフルネスを導入後、しばらくは落ち着いて、心安らぐような日々を過ごしました。

 しかし、ある日、突然に具合が悪くなってからは、いわゆる介護体制フルパワーで岳母の生活を支援していくこととなります。

 そして、上述した岳母の最期に向けたプロセスの伴走をしていきました。

 この内容は、非常に深淵になります。

 ただ、この内容をお伝えするには、まずは私の在宅介護未経験時代からの経験を披瀝してからでないと、上手く伝えられないのだろうと判断しました。

 そのため、一旦、三度目となる岳母の介護の回顧録は止め、初めての介護となった私の実母の在宅介護について回顧録を綴っていくことします。 

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