そもそも、一般的に広まってしまっている≪ 介護 ≫という言葉は差別的です。
親御様の介護であれば、親御様が心身ともに弱っていないといけません。
つまり、弱者とみなす存在がいないと成り立たない言葉が≪ 介護 ≫です。
そのため、もし本当に介護という言葉を差別なしに使うのであれば、介護が必要とならない支援をする活動が、親御様への本物の介護になります。
もっと言えば、親がご高齢になったら、子と助け合って生きていきましょう、という当たり前の姿が差別的ではない介護です。
この記事では、本当の介護とは何か?
それをズバリと解説していきます。
親が弱々しくなるので蔑ろにしていませんか?
馬鹿な話としてよく耳にするのが、親御様の介護が必要になったら介護をするという子の姿勢です。
親が認知症になったり、病気になったりすれば、介護をするというものです。
なぜ、これが馬鹿な話かと言えば、ケアを始めるタイミングがあまりにも遅すぎです。
もちろん、親御様は老いと、病を患い、最期に向かっていくプロセスの真っただ中ですから、認知症を患ったり、重い病に罹患したらケアは必須です。
でも、その前にやれることが山ほどあります。認知症にならない取り組みや、できるだけ病を遠ざける取り組みです。
取り組んだからといって、重篤な病に罹患する時は罹患するので看護や介護は必須になります。
介護の必要性が無くなるということ言っているのではありません。
しかし、介護を必要としない取り組みをして、介護が必要となる期間を後ろ倒しにして、なおかつその期間を短縮する観点に立つのが本当の介護です。
認知症や病になってから介護をするより、それらを防ぐ取り組みのほうが比較にならないぐらい楽で、簡単で、経済的にも、精神的にも、肉体的にも負担は少ないです。
ここで、フレイルをご存じでしょうか?
岳母が生前、町内会の健康研修会で学んできてくれて、その内容を一緒に勉強した良い思い出があります。
フレイルとは?
frailty.
欧米での研究から、加齢に伴い、あらゆるストレッサー対して脆弱性が高まり、それによって心身ともに虚弱となり、発病のリスクが伴い、発症しやすくなる、もしくは発症する状態と定義されているようです。発症した結果、生活機能障害、要介護状態、死亡などに陥りやすい状態です。
この概念を町内会の健康研修で学ぶと、実に判りやすい説明をしてくれるのが、この記事のトップにある画像です。
簡単に言ってしまえば、健康で自立した生活ができていた状態と、要支援・要介護になってしまう状態に陥るまでには、フレイルというギャップがあるという解説です。
なるほど、これならご高齢の方に限らず、親の生活を支える子にとっても判りやすいピクチャーです。
私の岳母のケアでは、いかにして要支援・要介護にならなくて済むのかを大テーマに掲げています。
そのためには、このフレイルの状態までで、心身の虚弱を食い止め、健康の状態にできるだけ押し戻したり、下支えする。
三度目となる岳母との暮らしで、私も参考にさせてもらいました。
初めに心ありき
しかしながら、心身の虚弱を食い止めるというのは、言葉では簡単に言えますが、中身はどうですか?
特に、心の健康を保つのは、現代では難しく感じられるのではないでしょうか。
なぜなら、そもそも心を健康に保つというのは、どういうことなのか。
例えば、他人の行動には、批判や、非難をするのが活発な割には、自分の心を批判するなんて滅多にしないですよね!?
だから、誰でも平気で嘘がつけます。
他人の嘘は、非難の対象ですが、自分の嘘は、自分を守るための方便と定義しまくっているのが現実です。
さて、ここで、嘘をつく心は、健康でしょうか?
それとも、不健康でしょうか?
嘘をつき続ける心の持ち主の人生と健康は、ハッピーエンドになるとは思いませんよね!?
そのため、ここが重要です。
心の健康を保つというのは、ストレスを貯めないといったつかみどころのない話ではありません。
もっと本質的で、原理的で、そして深いものであり、簡単とは言いませんが、学べば誰でも判りますし、それを学ぶ価値は、価値づけできないものがあります。
そして、鍛えることで、成長していくものあり、その副産物に良好な健康状態がついてきます。
嘘をつかないの他には、殺さない、というのも心の健康には大切です。
『私は、殺しなんかするわけないじゃないですか!』とお叱りの声もいただきそうですが、蚊一匹をも殺さないようにできますか?
急に難しく感じたのではないでしょうか。
これは、声高に人権を叫ぶ前に、生命の平等ありきというのが当たり前の姿勢にもっていかないと実践が難しいですね。
なので、初めに心ありきであり、だから在宅介護にマインドフルネスを導入しました。
フレイルの概念もとても大事です。
そこに心身を鍛える、特に心をどう鍛えるかがとても大切なテーマです。
そのため、三度目となる岳母の介護では、マインドフルネスの実践で、自ら出来ることを出来続けられるように、心を鍛えていきました。
実は、この実践が素晴らしいのです。
在宅介護にマインドフルネスを導入した時点で、それは介護の枠を超えます。
多くの若い人よりも、岳母は自らの足で自立の道を歩んでいけるのです。
私の実母もそうですが、あの年代は、急降下してくる米軍機の機銃掃射をギリギリのところでかわし、焼夷弾の豪雨をしのいで命をつないでくれた人たちです。
実母は、認知症を患ったので、晩年の生活を支えるために力を尽くしたのは事実ですが、身体こそ弱っていきましたが、心は弱るどころから死に向っていく覚悟と姿勢を私に教えてくれました。
確かに、在宅介護では、介護作業は多岐に渡り、多忙を極める日常です。
だからといって、実母に弱々しさなど見たことはなかったです。
生きた時代が違うのです。
そして、三度目となる岳母の介護では、介護という言葉は使いますが、実際の介護作業が必要となったのは亡くなる3か月前程度の短い期間でした。
マインドフルネスを導入して心を鍛えることで、介護の枠を超え、恐れることなく最期を迎えていきました。
実母も、岳母も、お二人とも、弱々しさのない晩年でしたし、私もまたお二人が弱々しいとして生活支援をした覚えはないですね。
最期まで、私にとって、大切な母親として接しました。