直近、前7回にわたって、認知症を軽く斬ってみました。
誰もが恐れる認知症ですが、恐れるに足らずなのも認知症です。
そもそも、誰もが正しく物事を、社会を、そして世界を見ていません。多くの人が主観ばかりなご高説をSNSで振りまきます。ちょっと言い過ぎかもしれませんが、認知症の不穏症状とさほど代わり映えしないのでは?、という信ぴょう性のない情報も目にします。
では、この現象をもう一歩、踏み込んで考察してみましょう。
言葉を発する際には、心が先に動いています。
例えば、桜の花を見て、綺麗と思ったので、≪ 綺麗 ≫という言葉が口から出ます。当たり前だと思われるのが一般的です。では、その綺麗さについて、私と、あなたで同じ綺麗さだと思いますか?
これが、ノー、同じではありません。
なぜ、綺麗と思ったのか。ここがポイントですが、私と、あなたで、綺麗と思うに至っているその背景が全く異なります。ですから、≪ 綺麗 ≫という言葉のPrononciation(発音)は同じでも、それは単に主観であって、人によって意味あいや、感覚が全く異なるのです。
つまり、桜の花を形容する≪ 綺麗 ≫という言葉は、誰もが同じ背景や意味合いをもった共通した感想ではなく、必ずしも一致しないという点で正しさがない。
もし、認識、認知を語り、そして認知症を考えるならば、≪ 綺麗 ≫と発音させる心の状態をまず観察すべき、というのが私の考えです。
ご注意
このウエブサイトで取り扱う認知症について
あくまでも、私の在宅介護経験による観察、知見、そして介護実践での話であり、科学的、医学的な学術的アプローチにまで昇華できず、証拠、エビデンスがあるわけでありません。そのため、日本のある家庭で行われた年老いた親の在宅介護の状況として、私の主観に基づいて解説が加えられた認知症に対する日々の介護アプローチとして捉えてください。この情報をもって、認知症が治るだとか、認知症の介護が楽になるといった利益は決してもたらされないことをご理解の上、このウエブサイトの情報をご活用ください。
老いとはなにか?
難しい問いではありません。
生きるとは、老いることです。
ただ、それだけです。
20歳だから若い?
馬鹿いってはいけません。
生まれて20年という歳月が流れた生命に対して、単なる相対的、かつ主観的な形容詞である≪ 若い ≫という言葉をつなげただけの文章に過ぎません。
ですから、事実を正しく表していないフレーズです。
これを妄想と言います。
しかし、この妄想に駆られて生きているのが、実は私たちのライフスタイルなのです。
もし、妄想に駆られる毎日で脳を使うとどうなるでしょうか?
だから、認知症になる、というのが私の考えです。
これもまた、単なる私の見解に過ぎませんが、事実じゃないかと勝手に妄想しております。
証明できる環境に無いので、仮説どまりです(笑)。
老いは委縮
そもそも老化とは、身体に生じる燃焼による止まらない、そして一般的には望まれない変化です。
その変化を多くの人は、望んでいないものの、死ぬまで止まりません。
老化とは、燃焼ですから、酸化です。
身体は常に燃焼しているので、酸化しています。
体温があるのものそのためです。
ですから、肉体は年齢を重ねていくにつれて、小さくなっていきます。
燃えてますからね。
若い時にあれだけ体格の良かったアスリートでさえも、50代、60代と年齢を重ね、病気でもしようものなら身体が小さくなります。
燃焼し続ければ、肉体が委縮するのは宿命です。
そして、重要な認識ですが、脳もまた、単なる身体、肉体の一部です。
重要な肉体のパーツですが、別格なパーツではありません。
ですから、やはり燃焼しています。
酸化していきます。
なので、時間と共に、脳も委縮する宿命です。
期待と妄想が脳をオーバーヒートさせる
多くの人は期待と妄想をドライブしながら生きています。
叶えたい夢や、目標を掲げるのもそのためです。
夢を掲げる時、楽しいはずです。
叶えたい未来の空想に心は舞い上がり、邁進するはずです。
特に、カネ、セックス、地位、名誉といったような類の成果対象を≪ ゲット ≫する取組のためには没頭もするし、全力をかけるはずです。
では、このように全力を傾けている心の状態は、どうなっているでしょうか?
未来への期待、対象を得るであろう喜びの想像を掻き立てる≪ 欲 ≫が渦巻いています。
そして、期待通りにならなかったとしましょう。
その心の状態は、欲がオセロのようにひっくりかえり、≪ 怒り ≫が渦巻きます。
このような心の状態が常である日々を過ごすと、肉体の健康状態はどうなるでしょうか?
肉体の一部である脳の健康状態は、どうなるでしょうか?
得られることのない期待と妄想を求め続け、欲と怒りがオルタネイティブ的に心を支配していると、肉体、とりわけ脳はオーバーヒートすると考えています。
心のありようによってオーバーヒートさせられた脳は、委縮が進むという見方をしています。
あくまでも個人の見解としてですが、私は、このような欲と怒りが支配する心のありようが、老いを加速し、認知症を引き起こしていく最たるリスク要因ではないかと考えています。
もっと言えば、老いていく人生のプロセスの上で、心のありようが与える脳への影響が認知症発生の有無を決める、という見解と仮説を私は持ち、その検証にあたるようにしています。
認知症にも種類がありますから、一概に原因を追究するといっても困難です。
ただ、私は、心のありようが、人生を決めると考えています。初めに心ありきです。ですから、病もまた心のありよう一つで決まり、認知症だけ関係ないということもありえない、という立場をとっています。病も気からと言われるように。
この立場をとるように至った背景には、若くしてものすごく老けてしまう人たちの生活習慣を目の当たりにしたからです。
それは、薬物中毒から抜けられなくなってしまった人たちの末路です。
直接会ったわけではありませんが、写真等の情報を拝見するに、なぜ、薬物という物質の摂取によってその若さでここまで老けてしまうのか。非常に疑問に思いました。そこで調べていくと、共通して脳の萎縮が認められるとの調査結果があったのです。
一方で、私の経験した範疇ですが、認知症を精密検査すると脳の萎縮が認められると診断されます。認知症症状に関わるようになってから、心のありようと老いと脳の萎縮の関係について、それら情報の点が線で結びついたのをよく覚えています。このことは、また追って記事にまとめていきます。