親御様への在宅介護では、誰もが例外なく必ず取り組むべきテーマがあります。
ほとんど知られていないでしょう、きっと。
それが ≪ 手放す ≫。
この『手放す』が判る人はほんの一握りです。なぜなら、その肉体、身体さえも手放すのが在宅介護の現実です。判りやすく言えば、死を認められるから手放せるようになる。これは、程度の低いビジネス本にあるような『手放す』とは次元が違います。
さて、その次元に必ず到達することになるのが在宅介護の現実ですが、前座的なテーマがあります。
それは、≪ 愛着をなくす ≫。
岳父が亡くなり、岳母の介護・支援でもすぐに取り組むべきテーマとして生じました。
この愛着の本当の姿は、ご存じでしょうか?
それは自由を奪い、苦しみを生じさせるもの。画像にある手錠のようなものです。人生のあらゆる問題が、愛着や執着に起因しています。在宅介護も同様です。実は、親子関係の愛着をデトックスしないと、親御様の在宅介護は破綻します。
愛着のないところに信頼関係は成り立つ
在宅介護は、親御様が病気になってから始まると思われがちです。
しかし、在宅介護のあるべき姿は、親御様の元気な日常を「陰ながら」に支えていくのが肝です。
この「陰ながら」というのは、親御様と介護の責任を持つ子の信頼関係の上に成り立つ行為です。
次の記事で、介護が始まると、向き合う対象が二つあるとお伝えしました。
一つは、最期に向き合う。
そして、もう一つが親と子で、お互いに向き合う。
在宅介護に直面し、親と子で向き合う時、そこに期待があるはずです。
子からみて自分の親は、自分のことをずっと心配してくれると思っていませんか?
逆もあります。 ここまで手塩にかけて育てたんだから、親は子供が自分ことを心配してくれるのは当然だと思っていませんか?
お互いへの期待の本当の姿は、前者は甘えで、後者は妄想です。
愛着は束縛
犬猫をペットにして、可愛がって喜んでいる人も多いですが、その人をよく観察してみてください。
犬猫の生活に振り回されているかのように見えますが、もう一段、深堀すると、犬猫という対象に『自分のもの』というレッテルを貼り、それを可愛いなどと欲に任せた感情により愛着を持ち、その愛着ゆえに対象物に振り回されているのが実際です。
≪ 対象に愛着を持つとき、その対象の奴隷になる ≫
このフレーズは、いつでもどこでも通用するので、覚えておくのをお勧めします。
というのも、このフレーズは、在宅介護の現場でも完璧に機能します。
在宅介護では、親と子でお互いへの期待があるうちは、お互いに束縛します。
期待の正体は、愛着です。
この愛着があると、在宅介護は上手くいきません。
親も子も、お互いに相手に奴隷化を求めてしまいますから。
なぜ愛着をなくす必要があるのか
理由は、簡単です。
親子の関係にある愛着をなくさない限り、在宅介護は上手くいかないばかりか、スタートすらできないためです。
子供が、年老いた親に暴力を振るうのも、その関係にある愛着をデトックス出来ていないゆえに生じます。
愛着は、それを持てばもつほど、自由を失い、苦しみを増やす性質があります。
にも関わらず、それを知らない人も、実に多いです。
特に、親子の関係になると、愛着の性質に盲目になりがち。
親子の関係に愛着があって何が悪いのか、といった態度を取る人も実に多いものです。
このことを、岳母の身近な出来事から、一緒に考える機会がありましたので紹介します。
岳母の近所には、ご高齢の方がお住いのお宅が多くあります。
近所のあるお宅で、ご高齢になった男性がいらっしゃるのですが、町内会の行事で、岳母がお会いすることも、しばしばあるようです。
その男性は岳母に会うと、「子供は本当にあてにならん!」と、残念な気持ちと怒りの気持ちを込めてよくおっしゃるそうです。
実際に、その男性は子供をあてにせず、最近になって早々と施設への入居を決めてしまい、暮らし始めているそうです。
岳母からその話を聞いたとき、私は次のように答えました。
良い判断じゃないですか!
岳母は、ほんの少し驚いた表情をされていましたが、私はそのご高齢の男性の気持ちを、少しだけ代弁しました。
でも、本当は子供に老後の面倒をみてほしいという気持ちがあったんですね・・・
愛着たっぷりの日常は、誰の人生の上にもゴロゴロしているのが判ります。
その日常の多くは成り立たなくなる時を迎え、多くの人があまり味わいたくない感情で表現されていくのが現実です。
残念な気持ち、怒りの気持ち、落胆、やるせない気持ち、・・・・。
もし、これらの感情を味わいたくないのであれば、愛着をなくす。
手放していく価値ある対象です。
≪ 愛着をなくす ≫なんて、言葉では簡単ですし、この記事を読んだだけでは絶対に無くせないどころか、膨らます一方の日々を送るのが一般的です。
自分の家、自分の家族、自分の会社、自分の子供、自分の配偶者、自分の財産、自分の洋服、自分の貴金属、・・・対象を観察するほど、「自分の」という言葉の裏にとてつもない量の愛着が潜んでいるのは明白です。
特に、在宅介護では、親子の関係において愛着を無くさないといけません。
自分の親、自分の子、そのような認識、認知は、成り立たない。
愛着は対象との関係性に潜んでいる。
まずは、これをよく覚えておくのをお勧めします。