≪命≫=≪生きている私たち≫-≪ご遺体≫

命とは、亡くなったご遺体と、生きている私達の比較、つまり差分によって鮮やかに浮かび上がります。

≪  ≫ = ≪ 生きている私たち ≫ - ≪ 亡くなったご遺体 ≫

命はこのように相対的に発見するのが最初の一歩、というお話は、岳母も納得してくれました。

では、≪  ≫とは、どう定義できるのでしょうか?

そもそも、≪  ≫とは何か。

岳母との会話は続きます。

もくじ

命への探求

 ご遺体をよく観察してみると不思議なのは、昨日まで会話ができたのに、今日はアイコンタクトすらできない現実への直面です。

 一体、これはどういうことなのか。

 ≪  ≫とは、なんなのか?

 ≪ 生きる ≫とは、なんなのか?

 全身全霊をかけて親御様の介護をしてもなお、死を超えられないとてつもない高い壁に直面し、自らの無力さを徹底的に思い知らされる。

 それが私の実母の介護経験でした。

 でも、本当にその壁は乗り越えられないのか?

 命への探求は、実母の介護をきっかけにスタートしました。

人生を創るのは身体?、それとも命?

 上述の≪  ≫の公式における左辺と右辺を入れかえてみます。

 すると、面白いことが判ります。

≪ 生きている私たち ≫ = ≪  ≫ + ≪ 亡くなったご遺体 ≫

 つまり、生きている私たちというのは、つねに死体をぶら下げて歩いているというのが明確になります。

 日々、綺麗に美しく頑張ってみても、また仕事バリバリと頑張ってみても、死体をぶら下げて歩いているのかと思うとちょっと肩の力が抜けませんか?

 それはいいとして、この公式によれば、生命を≪ 身体 ≫と≪  ≫に分離して考えることもできそうだな、というのが判ります。

 ≪ 身体 ≫と≪  ≫を分離して考えてみると、実はものすごいメリットがあります。

 ご存じでしょうか?

 まず、あなたの人生の創造主は、≪ 身体 ≫でしょうか?

 それとも≪  ≫でしょうか?

 そもそも、≪ 身体 ≫と書いていますが、上述の公式によれば、それは遺体です。

 ですから、必ず時が経つにつれて、朽ち果てていくモノです。

 このモノというのが判りにくければ、次の記事をご覧ください。

 朽ち果てていくモノに、人生の創造は出来ないですよね!

命が人生を創造する

 ここまでの会話を岳母と交わしたうえで、岳母にお聞きしました。

さくら

それでは、人生を創造する主は、朽ち果てていくその≪ 身体 ≫でしょうか?

それとも、≪  ≫でしょうか?

岳母

≪  ≫になるのかぁ・・・。

さくら

そうなんです。人生の創造主が≪  ≫なんです。

多くの人は身体が大事と鍛えたりします。脳トレなんていうのもありますが、脳も所詮、身体の一部です。


確かに、身体や脳を鍛えるのも大事な取り組みです。

でも、それよりもずっと重要な、人生の創造主でる≪  ≫って鍛えたことがありますか?

岳母

≪  ≫を鍛えるといってもね・・・。

さくら

難しいというか、今日初めて、亡くなったお父さんのご遺体を想像で引っ張り出してきて、生きている私たちと比較してみて、≪  ≫を発見したばかりじゃないですか。

ですから、鍛えようがなかったはずです。

また、宗教によっては、神の加護を願ってみたりするようですが、願ったところで鍛えられるわけがありません。

岳母

確かにそうね。

さくら

もっと重要なのは、≪ 身体 ≫はいずれ朽ち果てます。

必ず、です。

それを食い止めて差し上げることはできません。

でも、鍛えた≪  ≫は、寿命を迎えてもそのまま鍛えられたまま。


その状態で次の世界に旅立ちます。朽ちないんです。

なぜなら、≪  ≫そのものは、年をとらないからです。年をとっているのは≪ 身体 ≫だけですから。

ちょっと、≪  ≫を鍛えてみたくなりませんか?

岳母

そうね!

 生死のレッスンは、次のセクション、≪  ≫そのものの働きに移っていきます。

 ≪  ≫は、一般的な普通の生活を過ごしていると見えてきません。

 遺体と、生きている側の私たちとの比較で、発見と理解が始まります。

 この記事にあるように≪  ≫を発見するアプローチは、強烈です。

 なぜなら、核家族化が進み、死が身近になく、死を遠ざけ、忌み嫌うようになった現在のライフスタイルでは、到底、たどり着けない発見なのです。

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