岳母の生活を支えながら、深めてく話のテーマは、日々、進んでいきました。
最初に、≪ 親離れ・子離れ ≫がテーマでした。判らない人には、縁を切れぐらいにしか捉えられないでしょう。
現実は、関係にある≪ 愛着 ≫を手放す。愛着が、生きる上の苦しみの根源だなんて、看破している人は極めて少ないです。
次にテーマになったのが、≪ 本能と理性 ≫です。これは、親離れ・子離れのテーマの延長ともいえるものですが、年老いた親御様の介護を率先して出来る子と、逃げ回る子がいる理由から話が進みました。
そして、いよいよ岳母との会話のテーマは、≪ 死 ≫へと移っていきます。そもそも、本能と理性の話の本質は、この≪ 死 ≫が中心です。
なぜなら、本能とは≪ 死にたくない ≫という衝動です。しかし、理性はその衝動を超越し、≪ 死を認める ≫。
死を認められるから、苦しみを当たり前のものとでき、苦しまずに最期を迎えます。
在宅介護の時間を最高に有意義に、そして人生の宝とするならば、≪ 死 ≫は、必ずマスターしなければいけないテーマです。
死を学ぶ
一般的に、≪ 死 ≫は忌み嫌われ、会話の俎上にのせるのさえ、嫌がられます。
実際に、岳父と≪ 死 ≫をテーマに話が出来たのも、亡くなる2週間程度前です。
でも、なぜ≪ 死 ≫の話をしてはいけないという暗黙の了解みたいなものがあるのか。
普通の暮らしで、その答えを判っている人に会った経験はありません。
なぜなら、生きる原動力が、≪ 死にたくない ≫という衝動でしかないことを多くの人は知りません。
ぶっちゃけ、≪ 死にたくない ≫、だから生きています。
ただ、それだけの話です。
しかし、なぜ、死にたくないのか。
なぜ、生きたいのか。
理由を説明できる人は、ほとんどいらっしゃらないですね。
幸せを掴みたい、成功を掴みたい。
だから、生まれてきたんだと思いたい人は、それこそ命を懸けて、ぜひ掴んでください。
死は、それを手放せと無言で通告し、実行させます。
誰もが死に向って生きている
ほとんどの人は、日々、≪ 死に向って生きている ≫なんて、これっぽっちも思いません。
明日に期待しています。
- 良いことがありますように。
- 幸せでありますように。
確かに、それで正解です。
しかし、事実を無視していれば、それは不正解へと生まれ変わります。
- 今日も一日、老いが進んだ。
- 今日も一日、有限の鼓動回数である心臓を約10万回、オートマチックに動かしてしまった。
これが、事実です。
あなたにとって、この事実は、悲しい現実ですか?
年老いても死は遠ざけたい
ある日、岳母が私に聞きます。
ねぇ、けんさん。誰もが例がなく、死に向って生きているの・・・?
はい。その通りです。誰か例外はいらっしゃいますか?
私もか・・・
はい。そうです。よく気がつかれましたね!
はぁ~(溜息)
これが、ほとんどの人の≪ 死 ≫に対する感情です。
では、お母さん、明日、死ぬとしたら、今、何を為されますか?
この質問に答えようとした瞬間、人生は好転し始めます。
それが、≪ 今を生きる ≫
死を認め、受け入れた人だけが、今、この瞬間に最大限の力を発揮する秘訣です。
今の時代、誰もが≪ 今を生きる ≫などと軽く言葉を発しています。
ですが、そんな人に出会ったら聞いてみてください。
キラー・クエスチョンです。
≪ 死を避けたいですか? ≫
イエスであれば、その人は≪ 今を生きる ≫を知りません。
ピンピンコロリが良いなどと、ご高齢の方からも聞きますが、目を覚まさないと。
間抜けなことを言っている時間は、もう残されていません。
死を認め、受け入れた人だけが、≪ 今を生きる ≫をマスターします。
明日亡くなるのが判っているのに、まだ無駄な時間を浪費しますか?
有限の鼓動回数である心臓は、今もその鼓動回数を減らしています。臨終を越えて、鼓動だけが続くなんて、ホラーです。
日々、このように身体を観察できるようになれば、死を忌み嫌ってきた自らの愚かさに気づきます。