岳母には、介護をするにあたって、私の観点、思想を伝えています。
親離れ、子離れでは、その中身である≪ 愛着 ≫を如何に手放していくか。チャレンジを始めてくださりました。
簡単ではないですが、最期を通じて残していく子供らに≪ さようなら。幸せになりなさい。 ≫との気持ちで、いつでも軽々とこの世界を羽ばたいていく助走を始めてくださりました。
さて、介護の主役は、誰かと言えば、≪ 介護する人 ≫です。その人の考え方ひとつで、在宅介護のある暮らし品質が決まります。
そのため、介護する子供から、介護についての考えをオープンにするのは、必須の行動です。
次に手放していく愛着は、ご自身の身体、つまり死を直視するステップに入るのですが、その前にまず、子供が介護を本能的にやりたくないのであれば、介護をいとも簡単にやってのける子供とは何が違うのか。
それを、岳母と一緒に観察することにしました。
生命は本能で生きる
そもそも子供は、親の介護を厭います。本能的にやりたくありません。
人間も含めて、地球上の生命には、遺伝子に年老いた親御様の介護をするプログラムが組み込まれていないのですから致し方ありません。
また、戦後の経済発展に伴い、核家族化は多くの人が好みました。
ライフプランも、婚前交渉で子供が出来れば、それを授かり婚と称し、長期の住宅ローンを組み、自分はキャリア形成に勤しみ、外部のリソースで子供を育て、老後はその家で退職金と年金で悠々自適に暮らして、寿命を迎えるのが理想と考えられているようです。
一方で、親の介護はしたくないけれど、自分は長生きして、老後は勤めていた会社や国がなんとかしてくれて、さらには、育てた子は自分の面倒をみてくれる、そんな考えがまかり通っているかのようです。
しかし、令和の時代になってみて、コロナ禍から始まり、ウクライナ戦争、専制国家の台頭とめまぐるしく社会は変化し続けます。自分の老後が心配のため、お金欲しさにオレオレ詐欺に加担した20代女性が捕まります。
まさに、自分さえよければいい、自分は豊かに生きられればいい、自分は迷惑は被りたくない、自分は損したくない、自分は人生を謳歌したい、他人だろうが親だろうが損害なんて知ったこっちゃない、そんなご都合主義がますます先鋭化された社会が続いていくように見受けられます。
標語的なフレーズを掲げましょうか。笑っちゃいますよ。
≪ 今さえ(良ければ)、カネさえ(あれば)、自分さえ(良ければ)。 ≫
例えば、夢を叶えるのが大切だ、目標達成が大事だ、願望実現のやり方がある、といった言葉を耳にしませんか?
ここで、夢、目標、願望という言葉を、本能という言葉に置き換えてみてください。
本能を叶える、本能達成、本能実現、と笑ってしまうような恥ずかしいワードが並びます。
夢だの、目標だの、願望だのが人生の目標と、そんな啓蒙をおっしゃる人を見かけたら、一度、疑ってかかったほうが良いかもしれません。
もし、本能的に生きるのが正しいのであれば、サバンナの雄ライオンにでも生まれればよかったはずです。
しかし、私たちは人間として、今を生きています。
カネ、地位、名誉等々を手にするのが正しい生き方であり、それをゲットするのがよりよい幸せにつながる、という風潮に呑み込まれてしまったとしたら、どうでしょうか?
もちろん、生活のためにカネを得て仕事をしますし、そこでは激しい競争があります。地位もまた、ボーっとしていては守れませんし、得られる名誉の数は限りがあります。
ですから勝ち抜くためには、その道のプロフェッショナルであり続ける努力は怠ることができません。
これが人間社会の生きる営みです。
しかし、これで人生を終えることが成功者ではありません。
これでは、群れに君臨したライオンとして生涯を終えるのと同等です。もちろん、これを否定はしませんが、私は目を覚ましていただいて、その低次元を脱却するのをお勧めしています。
本能は憐れ
本能丸出して、生きてみることを想像してみてください。
無限に近い巨万の富を持って、絶対的な地位を手に入れて、人はあなたの言うことに絶対服従です。
ひょっとしたら、独裁的な人が夢と称する言葉の中身かもしれませんね。
そんな状態のあなたが、明日に亡くなるのが判った瞬間、今日がどんな日になるか想像つくでしょうか?
従属してきた人は薄笑いながら、あなたをその地位から引きずり下ろし、富を奪っていくでしょう。
あなたの死に、悲しむ人などひとりもなく、忘れさられる嘲笑の対象です。
なので、国家のリーダーでも、企業経営者でも、本能でしか人生をドライブしていない人はすぐに判ります。
どれだけ周囲が称賛している人物であっても、憐れみしかありません。
もし、お時間があれば、ライオンの生涯を調べてみるのをお勧めします。
本能で生きるとは、どういう状態なのか。
それを教えてくれます。
真の成功者とは?
多くの人は、ビジネスで成功するのが成功者だと思っています。
でも、その見解は一度、疑ってみるのをお勧めします。
経済的に頑張ったとして、その巨万の富は、死んだ瞬間、手放します。
その人のものになりません。
では、真の成功者とは、どんな人か?
それは、死んだ後もピタッと離れない財産をごちゃまんと抱えた人です。
しかも、その財産を育てるプロセスは、死んだ後のみならず、今を生きている現在も、しっかりと人生を支えてくれます。
その財産を持っていると、老いも、病も、そして死も、恐れる対象にはなりません。
真の成功者は、その財産を怠りなく蓄えることに注力します。
その財産は、集中力をもって育てていきます。
この財産を、≪ 理性 ≫と言います。
本当の成功者は、理性を抜群に、かつ怠りなく育てる努力を欠かしません。
また、理性とは、本能からみて、真逆にあるファンクションです。
もう、ここまで書けばご理解いただけるのではないでしょうか。
子供というのは、親の介護を厭います。
本能的にやりたくありません。
しかし、理性を育てる大切さを知る子供だけは、親の介護を率先してやります。
つまり、≪ 理性の有無 ≫が、年老いた親御様の介護ができる子と、出来ない子の差です。
簡単に、≪ 差 ≫と書いたのですが、そこにある溝は、マリアナ海溝をはるかに超える深さがあります。
本能でしか生きられない子供にとって、親の介護が自分を成長させる貴重な機会だなんて、微塵にも思えないのもそのためです。
それは、見ていて気の毒としか思えないものがあります。
残り数十年の人生で、カネさえあれば幸せと思う≪ 偽の成功者 ≫と、時間さえも超越する財産を蓄え、携える≪ 真の成功者 ≫が明確に存在します。
その違いは、前者が本能で生き、後者が理性で生きた結果で示されます。
昨今では週刊誌が、本能のままに野生の雄ライオンに似たような生き方をしてきた有名人の私生活を可視化してくれてもいます。
人生の成功者になる、勝利者になる。
その真のあるべき姿に在宅介護は導いてくれるのですが、それに気づける人は極めて稀です。