疑う力を養えよ

 高齢者虐待をはじめ、犯罪、暴力、扇動、誹謗中傷をする人間は、弱い。

 今の日本の新聞、テレビ、汎用ネットニュースメディアもまた、真実、事実を報じない利権のための扇動の道具に成り果てています。

 弱いものが、より弱いものを扇動の道具に使います。

 情報は、発信者に有利。

 この原則は、揺るぎません。

 ですから、報じられた情報、受け入れた情報は、必ず疑ってかかれ。

 これは鉄則なのですが、信じるより疑うほうが、はるかにパワー、労力が必要です。

 信じる方が楽だし、楽だから情報を疑いもせず鵜呑みにするのです。

 常に、世界を疑ってかかれば、自分は孤独でないといけませんしね。

 ただ、これは死ぬまでに絶対に培わなければいけない力です。

 亡くなるときは一人だからというのもそうです。

 そして、現実として、自分の子供ですら、たとえ我儘でも言ってくることを良かれと思って信じれば、彼らは騙してくるのです。

 次のフレーズは、よく覚えておいていただきたいのです。

 裏切りは、もっとも身近な人が起こす。

 いま、老若男女、多くの人が疑う力を養うのを忘れています。

もくじ

引越しに向けて

 私が母の健康を預り、生活の面倒を看ると決めても、明日からそうできるほど簡単ではありません。

 私と母とが暮らす引越し先を決めて、キチンと介護ができる生活体制を整えないといけません。

 引越し先の候補に母を連れて、一緒に街の雰囲気を確かめたりするわけですが、その間も他の親族からの母への嫌がらせは続きます。

 嫌がらせの例は、この記事にひとつ紹介しています。

 他にも、よくそんなつまらないことを思いつくものだと思うような嫌がらせもオンパレードで、その執念深さはおぞましいものがあります。

 実際に、私と母は同居して、さらに本格的な介護生活が始まるわけですが、その状態になっても、嫌がらせミサイルを打ち込んできます。

 本当は、ひとつひとつ例を挙げてご紹介したいのですが、高齢者虐待を助長することにもなりかねません。

 なので、そこは慎重に紹介を考えたいと思っております。

弁護士にも相談

 親族から高齢者虐待を受けた場合は、相談が重要になります。

 相談といっても、相談相手に親族や知人は避けなければいけません。

 理由は簡単で、信頼して話した相手から情報が漏洩するからです。

 もし、どうしても親戚や知人に相談しなければならないのであれば、話した内容は漏洩しても良い範疇にすべきでしょう。

 そのうえで、第三者を選ばなくてはいけません。

 弁護士の先生になります。

 弁護士という言葉を聞くだけで、自分の親族や子の相談をするのをためらう人がいますが、虐待を受けているなら躊躇している場合でありません。

 しかし、子供や親族であっても、親の金品を盗む行為や、騙す行為は犯罪です。

 是は是、非は非、なのです。

 弁護士は、味方になってくれる大事なパートナーです。

 もちろん、弁護士であれば、誰でも一緒というわけではありません。

 複数人にお会いして、キチンと耳を傾けてくれる人かどうかを見極めるところが出発点です。

 私も、これまでに10人は下らない人数の弁護士の先生とお会いしてきました。

 そのなかでも、真摯に耳を傾けてくださって、この先生ならと思える人はそう多くありません。

 多くありませんが、必ず出会いますから、根気よく足を運び、直接、お会いして、言葉を交わすべきです。

 臆したり、遠慮する必要はありません。

 弁護士の多くは、自らの正義や信念を持たれている先生も多いです。

 先生のお人柄、人間性、専門、事務所の雰囲気等々、思い切って懐に飛び込んで、忌憚なく話をして、その対応力から判断されるのをお勧めします。

 在宅介護は、親御様が迎える寿命で終わりますが、いくばくかの財産であっても相続が発生します。

 高齢者虐待のあったご家庭で相続は円満に終わる、というのはあり得ません。

 ですから、親御様がお元気のうちに、どのようにさまざまな課題について人生の決着をつけていくのか、その相談を弁護士の先生と交えるのは賢明な行動です。

 私も、母の介護のために暮らす物件を探しながら、弁護士の先生ともよく話し合いをすすめました。

疑う力

 『子を疑うなんて、とてもじゃないがそんなことは出来ない・・・。』

 多くの親御さんが抱く感情ですが、実際に虐待を受けていてもなかなか払しょくできません。

 そのため、『育て方が悪かった・・・』、そうご自分を責めて、耐えるという選択をしがちです。

 ここがポイントです。

 なぜなら、『自分は正しい』と思って、子育てしてきたはずです。

 だから、『育て方が悪かった・・・』、となります。

 ほとんど多くの人が、『自分は正しい』と思ってさまざまな選択をし、その選択をした自分を疑わずに生きてきたはずです。

 なので、失敗するのです。

 これまでの人生の選択の瞬間を振返ってみて、すべて正しいと思ってやってきた判断や行動だったはずですが、結果はどうですか?

 バラ色に咲き誇るような人生であれば良いですが、おそらく枯れたバラで棘だけが残っている状態ではないですか?

 自らの人生ですら、そうなのです。

 では、子供や親族は、みな立派な人格者となりえますか?

 ありえないはずです。

 そうであってほしいと、期待しているに過ぎません。

 『育て方が悪かった・・・』、その通りなのです。

 ですから、それを是正、改善、そして本当の意味で子に自らの間違いを自らで気づかせ、精神的な成長をさせる最後のチャンスとして、子による虐待がある。

 これこそが、正しいものの見方であり、捉えかたです。

 子から虐待を受ければ、苦しいはずですが、その苦しさを乗越えて、この認識に立つのが、も・の・す・ご・く・重要です。

 なぜなら、子を立ち直らせるため、なのです。

 そのために、自らを省みて、子を疑う。

 何も、犯人に仕立てようとというのではありません。

 たとえ子供であろうと、親族であろうと、耳触りの良い言葉は疑ってかかり、本当にしなければいけない決断をしなくてはいけない。

 これも年老いた親御様の在宅介護の一環であることを、多くの人は知りません。

 または、薄々、感じている方もいらっしゃるかもしれませんが、言葉でこうやってハッキリと書かれているのを目にする機会はないかと思います。

 より高齢になれば、さらに力を失います。

 まだ力のある今、人生の決着は、信じるより、はるかに困難でパワーが必要な疑う力をもって、ケジメをつけるようにします。

 この疑う力の思想も基礎にしながら、私と母の在宅介護をすすめていったのです。

 考えたくはないですが、これからの未来は、今以上に人間が人間性を失い、自分さえよければいいという人間が増えていくばかりの世の中になります。

 人間が人間としての尊厳を失い、動物化する現象の進行です。

 自分が力を失えば、子供からも狙われます。

 まさかと思ったら大間違いです。

 世の中をよく観察してください。かつてはありえないような破廉恥な事件が実に多いこと。高齢者施設、家庭内での虐待、教育施設でのわいせつ行為、親殺し、子殺し、近親相姦・・・。

 自分さえよければ良いという人間の増加は、グローバル化も拍車をかけています。

 グローバル化が本当に素晴らしいですか?明治維新もグローバル化の一種ですが、そもそも高潔さを大事にしてきた日本人にとって、グローバル化は高潔さの偏差値を下げる一環でしかない気づきを持つ必要があります。

 高潔さのひとつが、年老いた親御様の在宅介護です。

 かつての日本は、これが当たり前の情景だったはずであり、捨ててはいけない営みです。

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