親への虐待、その罪深さを教えましょう。

 この地球上を見渡してみると、私たち人間の他に、魚、虫、動物など多くの種類の生命が存在します。

 どうして自分が人間の姿かたちをしていて、あなた方は、アリや、蝶や、蜘蛛なの?

 私が幼い時に抱いた疑問です。

 それから何十年もの時間が過ぎました。

 学んできたものは、すべて生きるための術ばかりでした。

 国語算数理化社会、先端テクノロジーに、品質管理、マネジメント、経営、投資。

 しかし、これら生きるために磨いた術が、一切通用しない領域があります。

 それが、年老いた親御様の在宅介護。

 在宅介護は、親御様の寿命に向かうプロセスを支えます。

 支えるといっても、そのプロセスの流れをくい止めようと全力を尽くします。

 しかし、生きるためにマスターしたすべての術を全力で繰り出しても、通用しません。

 寿命に向かうプロセスの流れを止められず、死を迎え、その経験は絶対を教えます。

 絶対に避けられず、超えられない現実を嫌というほど味わいます。

 しかし、それで終わりではないのです。

 地獄に落ちるとかなんだとか、仏教が教える心の仕組みを学べばその世界はよく判ります。

 それを学ばなくても、いま、人として生まれ、育ち、この記事を読んでいると思いますが、もし、あなたが昆虫だとしたら、当然、アクセスできない情報のはずです。当然ですよね。

 この内容は、カブトムシには、まったく必要がありませんから、読めなくて良いのです。

 では、あなたがいずれ寿命を迎えて、もし仮に生まれ変われるとして、また人間以上の生命として生まれる確信はありますか?

 確信があるとしたら、その理由は何ですか?

もくじ

おびただしい数の人間以外の生命の数

 地球上の人類は増え続けて、70億人、80億人と言われています。

 かなりの人数がいらっしゃるのですが、人間以外の生命の数は、こんな数字で収まりません。

 数え切れないほどおびただしい数の生命が、地球上に暮らしています。

 ですから、地球上の生命の種類・数を持ち出して、相対的に観察すると、よく人間として生まれたな、というのが判ります。

 それに感謝しろ、ということではありません。

 生まれる前に、よほど人間として生まれるためのポテンシャルを秘めていないと、生命として生まれる時に人間には生まれないと考える方が自然に思えるのです。

死を直視できますか?親の介護できますか?

 アリでも、蜘蛛でも、蝶でもよいのですが、彼らは何がしかのきっかけがあれば、死を直視する態度をとると思いますか?

 葬儀を挙げて、悲しむといった態度はとりません。

 親の介護もしません。

 それが、彼らの世界です。

 生きるために生きる。

 いずれ死を迎えるなどとは、微塵も考えません。

 言ってみれば、生の亡者です。

 唯一、人間だけが死を悼み、死を直視する可能性を秘めています。

 親の介護をするチャンスがあります。

人間で生まれた以上、人間以上で死なないと意味がない

 もちろん、私たちも生きるための術をフルに活用して、精一杯に生きようとします。

 ただ、もし魚、虫、動物たちと同じように、生きるためだけに生きたとして、次に人間に生まれるためのポテンシャルを蓄えられそうですか?

 私は、おそらく無理だと思うのです。

 少なくとも、人間として生まれた以上、彼らにはできなくて、人間にしかできない態度をとらない限り、最低限、死んだ後も人間に生まれ変われそうだな、とは思えません。

 彼らも、私たちも仕事をします。

 彼らも、私たちも子を産み、育てます。

 彼らも、私たちも、食事をし、休みます。

 しかし、彼らには出来なくて、人間にしかできない態度が、年老いた親御様が精一杯に生きられるように支援する介護と、それでも迎えてしまう寿命を通じての死の学びです。

 いつか自らの寿命を迎えつつあるときにこれまでを振り返るならば、最低限、この程度のことはしないと、後悔しかないように思うのです。

 ましてや、親に暴言・暴力をふるう、親に嫌がらせをする、親を無視する、といった行為は、魚、虫、そして動物たちは決してしない行為です。

 にもかかわらず、年老いた親御様の介護に直面した時、そのような行為に走る人間の実に多いこと。

 挙句の果てには、介護から逃げ、もっともらしい事情や、仕事、そして親の介護をしないのは、その親に責任があるかのごとく宣(のたま)います。

 それで、自らが死んだら天国に行くと???

 私には、そんな天国があるなんて思えませんね。

 魚、虫、動物たちの世界より、さらに弱肉強食の激しい殺戮の世界が待っていそうだ、ぐらいの想像はします。

 私たちの目には映らないだけで。

 そうそう、親が亡くなりこの世を去れば、いかなる虐待行為も謝罪できません。

 私の母が残してくれた名言をお伝えしましょう。

私が死んでからオメオメと会いに来て、何の意味があるか。

 親に虐待をされている皆さん、親御様が亡くなってからどうやって許しを乞いますか?

 本当に何も知らない、判らないというのは最悪の意味で幸せなのかもしれません。

 仏教をほんの少しでも学んで、ネットでも調べてみると五逆罪(ごぎゃくざい)というのがあるのを知ります。

 その1番目と2番目にくるのが母、父を殺害する罪だと知ります。

 実際に殺害していなくても、年老いた親が子に助けを必要としているのに、例えば無視をする、暴言を吐く。その行為は罪だと思いますか?、それとも罪に問われないと思いますか?

 私は、いわゆる国の法律にとわれなくても、心の罪に問われ、その重さは決して軽くないと思います。

 実際に親の臨終に前後して、虐待を繰り返してきた親族の人生を観察してみるのをお勧めします。

 驚くほどに現実がよく判ります。

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