高齢になれば、身体は弱くなります。
しかし、強くなるところを見落としてしまっています。
それは、心です。
それを清らかにして静かに虐待に対処していきます。
年老いた親御様が子から虐待を受ければ、落胆するはずです。
でも、それでは心が清らかではありません。
たとえ大切に育てたとしても子は虐待してくるのが当たりまえ。
このような観察眼が清らかな心です。
動じていませんね。
だから、虐待に的確、かつ有効な対処ができるのです。
清らかな心とは?
清らかな心とは、日々の努力で鍛えていきます。
ですから、年齢を重ねるほど磨かれていくことが可能なのが心です。
童心が清らかだと思ったら、間違いです。
邪な思考は幼稚かもしれませんが、思い通りにならなければ、泣いて自分の要求を通そうとしますね。
ですから、年齢を重ねるほど心を清らかにする精進が必要です。
また、社会人になって、いい年齢になったら心が清らかになっているなんていうのは幻想です。
政治の世界をみれば、反吐が出るほど明らかです。
精進の具体的な道理は、マインドフルネスに集約されます。
マインドフルネスを通じて、生きるとは何かを学べば、それは≪ 苦 ≫という現実を見抜きます。
≪ 当然、自分が弱くなれば、攻撃してくる者も現れるだろう。 ≫
この冷静な心が虐待を退けます。
端的に言えば、苦≪ が ≫なくなるのではありません。
苦≪ で ≫なくなるのです。
介護保険申請を再申請する
私の母が認知症を患う前は、自立した生活を営んでいましたし、施設入所を望んではいませんでした。
認知症を患っても、一度たりとも施設入所は望みません。
当たり前です。
私との同居を希望されていましたし、一緒に生活をするようになってから最期まで、安心して楽しく人生を全うしてもらいました。
しかし、悪意ある親族は、母が施設入所を望んでいると嘘を申告して、介護保険を役所で申請手続きしてしまいます。
この時、介護度は、『要支援2』でした。
ただ、問題は介護度ではありません。
介護保険を申請した悪意ある親族が、母の介護を担うキーパーソンになってしまったことです。
ここから、悪意ある親族の攻撃が強まります。
他の親族も巻き込んで、介護保険を申請してやったと宣(のたま)い、母に施設に入所するように親族を連れて迫るのです。
その時は、母もまだまだしっかりしていたので、怒り心頭で親族らに説教できる元気がありましたから、施設に入所させられる事態にはなりませんでした。
同時に、母から相談を受ける私には彼らの魂胆が手に取るように分かってきたので、母に説明します。
お母さんが住んでいるこの不動産だよ。彼らが狙っているのは。
なるほどね。だから、追い出したいんだ。
そして、まずはこの悪意ある介護保険の申請を取り消して、再申請できるかどうか。
事情を説明するため、母を連れて地域包括センターに相談に出向きます。
でもなぜ、魂胆は何となく読めても、その母が施設入所を希望しているなどの嘘を見破れたと思いますか?
自己情報開示等請求で悪意を暴く
ある日、再申請の相談のために地域包括センターを母と私で訪れました。
母も同席してくれたので、事情を説明したところ、再申請が可能になりました。
当然、私が申請者となり、母の介護の責任を担うキーパーソンになります。
しかし、再申請にあたり、悪意ある親族から申請された内容を確認するため書類を見せて欲しいとお願いしたところ、それはNG。
母の介護保険申請であり、当時はその申請を望んでいないのに、勝手に他の家族により行われたことであるから見せて欲しいと食い下がりましたが、難しいとの説明でした。
それもそのはずで、役所の立場からすれば、母と私の主張に確からしさはあったとしても、その前の申請が悪意によるものかどうかまでは判りません。
ただ、この時、地域包括センターの職員が教えてくれます。
自己情報開示等請求という手があります。
その請求書の実際(写)が、サムネイルの写真です。
この請求をすると、自己情報、つまり母のあずかり知らないところでなされた介護保険申請について、いつ、誰が、どのような理由で申請したのか、その情報開示を請求できます。
悪意ある親族の魂胆を見抜いた程度では、憶測でしかありません。
しかし、この情報開示により母の意思に反した理由、つまり嘘の理由により申請されている裏付けを取ることができます。
これは係争になった際に、彼らの魂胆を悪意として証明するためにも必要です。
もちろん、開示請求しても役所の判断で黒塗りにしてくる行やフレーズがあります。
その場合、一部を開示すると判断され、実際に開示で満足のいく結果には至らない可能性もあります。
母と私による開示請求も一部に黒塗りはありましたが、親族の悪意を暴くには十分でした。
そして、そこにはこう書かれていました。
開示情報によれば、『本人が施設入所を希望したため介護保険申請がなされるも、本人は拒否。』(公の記事なので意味は同じにして文章は改変しています。)
結果として、母はそのような意思が無く、申請に疑義がありそうだと認定調査で判明し、それが公になっていることが判ったのです。
子から虐待される時、親御様の嘆き、悲しみはどれほど深いものか。
多くの親御様は、そこで自らを責める場合が多いです。そして表情は暗くなり、口は重くなり、子の言いなりになり、そして最期を迎えてしまいます。
しかし、そのような最期を迎えて人生を全うしたと言えるでしょうか?
人間で生まれた以上、人間以上で死ななければ意味がありません。
であれば、キチンと子の悪意や悪事に毅然とした態度を取ることが親としての最後のつとめです。
自分を責めている時間はありません。
悪事を暴き、そしてそれを静かに秘めながら、子離れを完了する。
これが高齢者虐待への対処です。