お母さん、私は介護『なんか』やってて良いのか?

 母と家内、そして私の3人が同じ屋根の下で暮らし始めて、しばらく経過した頃の話です。まだ、デイサービスにも通っておらず、毎日、母の日常生活のお世話が続いていた頃です。

 朝、7時30分ごろに起床してもらって、洗面や着替えといった身支度の介助。それが終われば、朝ご飯を用意。洗濯機を回して、干し終わった頃になるとお昼ご飯を用意して、少しお昼休憩の時間を取ってもらっている間に、私は、事務作業等の雑用をこなし、あまり昼間に休憩しすぎると夜に眠れなくなるので、母を起こしたのちに散歩に出かけるなどします。

 帰宅後は、夕食の用意をして、その後しばらくして入浴や、歯磨き等々の寝る身支度の介助、洗濯物を取りこむなどして、就寝してもらっていました。

 就寝後に、家内が帰宅して私と一緒に食事して、すべての洗い物など炊事を済ませます。日付が変わる頃になって、ようやく自分の仕事に取り掛かっていました。

介護『なんか』やってて良いのか?

 かつて、家事はその地位を低く見られがちでした。

 親の介護は、お嫁さんの仕事と言わんばかりの風潮もありました。

 しかし、現実的に家事はとてもハードな取組で、そこに介護となれば、お嫁さん一人に任せるなど無責任も良いところで、その地位は低いどころか高尚です。

 私も、在宅介護をする前は、海外出張等も多く、ベンチャーもやり、それなりの結果を残す経験を積み、キャリアを大切にしてきました。

 しかし、ハッキリと申し上げましょう。在宅介護のある家事の方がよほどハードな日常です。

 外で仕事している方が、よほど楽です。

 前述した日常には、さらには頻回するトイレ介助や、話し相手といったことは書いていないだけで、随時、発生する介護作業です。

 認知症の症状を観察しながら、これを無休&無給でやるわけです。

 普通の人なら、苦しいと思います。

 私も、削られる気力、体力に苛まれ、ある日、とうとう母に愚痴をこぼしたことがあります。

『なんか』とはなんだ!そんなんだから何やっても上手くいかない!

 母と二人で昼食を終えて、話をしていた時です。

さくら

ねぇ、お母さん、あのさぁ、私さぁ、このままずっとお母さんの介護『なんか』やってて良いのか?

将来、仕事も出来なくなっちゃうんじゃないかと心配なんだ。

 私のこの言葉を発した後の母の表情は、凛とした厳しさに変わったのをよく覚えています。

けんちゃん、いいかい。『なんか』とはなんだ!『なんか』とか言っているから何やっても上手くいかないんだ。

何事も馬鹿にしちゃいけない。

介護というのは、年を取れば誰にでも必要になる大事な取組なんだ。

それを『なんか』と言っているうちは何も身に付かない。

いいかい、介護を真剣にやってみな、わかるから。『なんか』とか言っているうちは何やっても上手くいかないよ。

さくら

はい。わかりました。やってみます・・・。

 私は、そのように答えるしかありませんでした。

 とても認知症を患っているとは思えない毅然とした姿勢で、我が母ながらに往年の迫力のある言葉だったのを覚えています。

 また、カチンとこなかったわけではないのです。これまでも仕事はキッチリと成果を残してきたのですから。

 しかし、母から見れば、亡き父と比べればまだまだだったのでしょう。その原因を、私が事象を軽く見てしまう癖があるところを見抜いていたのかもしれません。

不安は無くならないけれども、不安にのまれなくなる

 この日を境に、年老いた親御様の介護とは何か?、その探求が始りました。

 例えば、私達、人間は親が年を取れば、親の面倒を看ますが、犬や、猫といった動物は年老いた親の介護をするのか?

 そのような疑問が生じたのをよく覚えています。

 当時は、AIの誕生前でしたし、インターネット検索に頼るのが精一杯で、なかなかその答えにたどり着けませんでした。

 今でこそ、AIに質問すれば、明確な答えが返ってきますが、当時は一冊の書籍が教えてくれました。

 それがこちらです。

 この地球上において、年老いた親御様を介護する生命は、人間以外に居ないのです。

 もっと言えば、人間にとって、年老いた親御様を介護するという行為がどれだけ大切なのかを如実に知っていくことのきっかけにもなったのです。

 もちろん、それを知ったからといって、将来の不安が無くなるわけでありません。

 しかし、いま、為すべきことはなにか。

 ここに紹介する書籍たちを通じて、今に集中する生き方の積み重ねが大事だと腑に落ちていきます。

 当然、いま、為すべきことは言うまでもありません。

 老いていく親を助けてあげるのが、最も優先順位が高いはずです。

 私を叱咤激励してくれた母の言葉は、今も生きています。

 ピンチや逆境についても、介護をしている時に母の助言がありました。

 そのような状況というのは、足元に水が溜まり、その溜まった水がヒタヒタと上昇してくるようなものだと表現してくれました。確かに、そのような感覚があります。

 一方で、だからといって逃げてはダメだ。来たな!、と思って対処していけばよい、そのようなアドバイスをくれましたが、今でもそれはしっかりと活かしています。

 重要な決断をしなくてはいけない時、背中を見せて、日和りそうになったら負けです。

 それで結果がついてきても、こなくても、問題に対処してベストを尽くした実績が自分の財産になっていきます。

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