認知症でも≪暮らし≫は十二分に楽しめます

 ≪ 生活 ≫と≪ 暮らし ≫の違い。

 これを区別して在宅介護は運営できます。

 多くの人は、在宅介護は親の面倒を看るぐらいにしか捉えられません。

 マネジメントの視点、さらには経営者の視点を取り入れると、在宅介護の取組はキャリア以上のキャリアになるのですが、気づきませんね。

 確かに、親の面倒を看ることには違いないのですが、どう面倒をみるのか、その思想が大切です。

 また、どう面倒をみるにしても、その在宅介護に集うメンツが誰なのか。親一人、子一人なのか。親一人に対して、夫婦二人で面倒を看るのか。さまざまシチュエーションが各御家庭で考えられるはずです。

 この記事では、介護が必要な私の母に対して、私たち夫婦の二人でどのように≪ 暮らし ≫を楽しんでいたのか。その様子をお伝えします。

もくじ

自由が≪ 変化 ≫に対応できる

 家内は、外で仕事を持ち、私は在宅で仕事が出来る立場を構築していました。

 在宅介護が必要になったから、このようなライフスタイルになったわけでありません。

 明日の変化に常に対応できるように、今日を考えながら構築してきたライフスタイルでした。

 なので、母が認知症になったとしても、どこをどう≪ 生活 ≫と≪ 暮らし ≫を変えれば良いのかは見えていました。

 一般的には、家を建てるために住宅ローンを抱えるので、会社を辞めるわけにはいかない人が多いはずです。

 私たち夫婦は、この考えを最初から選択していません。

 なぜなら、土地に、家屋に、企業に、契約に、拘束されるからです。

 自由を失います。

 そのため、ずっと、賃貸住宅による生活を続けていました。

 なぜなら、変化が見えているからです。

 多くの人は、親が老いて、病に罹り、亡くなっていくイベントを自分のこととして捉えていません。

 しかし、親の面倒をキチンと看ると決めていれば、それは自分事(じぶんごと)になります。

 この差は、人生設計にとって、とてつもなく大きく影響する考え方です。

 夫婦にとって、年老いていく親の存在は、対応すべき大きな≪ 変化 ≫になる。

 この当たり前が、世の中では軽んじられているようです。

 自分たちが生まれる前から地球に存在して、私たちの誕生を受け止めてくれたのが親です。

 親にしてみれば、子の誕生は大きな人生の≪ 変化 ≫だったに違いありません。

 在宅介護は、その逆です。

 必ず居てくれた親の存在が、死をもって、無に帰るのです。

 それは、遺された子にとって、大きな≪ 変化 ≫になります。

 この≪ 変化 ≫への対応は、自由を失うライフスタイルを構築していては不可能です。

自由だから認知症が当たり前になる

 不自由なライフスタイルを構築するほど、思考が硬直化します。

 柔軟な発想や、さまざまな視点を失います。

 逆に、こうあらねばならないと視野が狭くなり、現状維持しかできなくなります。

 認知症の抱えた親の存在を受け入れられず、疎ましさしか感じられなくなります。

 ご夫婦二人で、年老いた親の面倒を看ようとすると、少し前なら介護は奥様に押し付けられる風潮がありました。

 しかし、今は違います。

 二人が得意なところ、どこに責任が持てるのかといったところ、チャレンジングなところなど、夫婦のパフォーマンスをよく分析して、能力を活かすというマネジメント発想が何よりも大切になります。

 私にしてみたら、我が母の在宅介護ですから、身体介助をはじめ、排泄、食事、着替え、洗濯等々、チャレンジングなイベントが目白押しです。

 一方で、パートナーにまでこれらのチャレンジングな取り組みを強要していては、家庭が回らなくなります。

 そのため、パートナーには自分の得意なところで、在宅介護に貢献してもらいました。

 その一つが、例えば、『買い物』です。

 私のパートナーは、これが得意で、大好きで、人が喜びそうなものを厳選して買ってくるのが非常に上手です。

 このパフォーマンスは、≪ 暮らし ≫を楽しむのに絶対に欠かせません。

 なぜなら、母は、買い物に行くにも大変さがあるのを自覚していますから、母自身が喜びそうなものをパートナーが買ってきてくれることがとても楽しみだったのです。

間違いないねぇ

 ある日、私のパートナーは、宮崎県産の文旦(ぶんたん)を買ってきてくれました。

 母が入浴後あたりの時間に、パートナーは仕事を終え、買い物をして帰宅するので、キッチン横に文旦を置いておきました。

 案の定、母はその大きさに少し驚きながら喜んでいました。

さくらの母

大きくて、めずらしいね~。これ文旦?

さくらのパートナー

はい。そうです。大きくて珍しいので、買ってきてみました。一緒に食べましょう!

さくらの母

ほら、けんちゃん、こんなに大きい。

さくら

はい、はい。見えてますよ。

さくらの母

パートナーちゃんが買ってきてくれるものは、間違いないねぇ~。すごく楽しみにしているんだぁ。嬉しいなぁ。

 会話の一部を抜粋したもので、たわいもない言葉のやり取りです。

 しかし、これが『暮らし』を楽しむ、なのです。

 そして、絶対に認識しておかなければいけないのは、ここに認知症の有無は関係ないのです。

 この記事のトップにあるアイキャッチ・ピクチャーがその時の光景です。

 母は、就寝の準備をして洗面室から廊下を出て、すぐに文旦をみつけて歩み寄っていきました。

 私のパートナーも、母がすぐに見つけられるようにと、キッチン横の判りやすいところに置いてくれる心配りが感じられる写真です。

 認知症ケアと称して様々な『認知症対策』が叫ばれ、例えば認知症に罹患した親への対処方法が啓蒙されています。

 ハッキリと申し上げますが、程度の低いコミュニケーションでしかありません。まず、親として接することが前提なのですが、これがまるっきり出来ていません。判っていません。親はなんでも言うことを聞いてくれる子供の奴隷じゃないんですよ。

 これが判らないから、認知症対策でしかコミュニケーションできなくなります。

 敬うとは何か?少しは勉強してもらいたいサブジェクトです。

 その結果として、この記事のような≪ 暮らし ≫を楽しむが実現できます。

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