日本中に東日本大震災の影響が残る最中の正月に母は救急搬送され入院しました。
それ以前から、母の生活に危機が迫る足音は聞こえていました。
母とは電話でよく話をし、また私の事務所にもよく立ち寄ってくれましたから。
しかし我慢強かった母も、この入院を機会に堪忍袋の緒が切れたのでしょう。
他の親族による母への態度を看過できなくなっていきました。
お子さんをお持ちの親御様へ
高齢者虐待といってもその種類は、もう多岐に渡ります。
子が虐待していても、どんな魂胆を持っていたとしても、そして親御様がどれだけ年を取ったとしても、自らの子を疑うのは難しいはずです。
親はね、子が犯罪をしても、その子がやってないってどこまでも信じたいんだ!
これこそが、親がさっさと手放さなければいけない子への愛着の正体ですが、手放している親御様にはそうお目にかかれません。
そして、基本的に子による親御様への虐待は、この愛着を悪用しまくります。
悪用するのではありません。
骨の髄までしゃぶりつくすように、もう悪用しまくります。
まさか、と思うでしょ?
だから、罪を犯したとしても、自分の子はやってない!、って信じたいし、信じてしまうのです。
結果、高齢者虐待は留まるところを知らずに増え続けます。
目を覚ました方が良いですよ
高齢者虐待が増え続ける?
これも、まさかと思うかもしれませんね。
なぜなら、親御様が自分の子に虐待を受けているなどと警察に通報すると思いますか?
自分の子が罪を犯しても、うちの子はやってない!、って言い張っちゃうのが親なんですよ。
こんなバカ親ばかりなのが、現代日本です。
だから、就職活動や入社式まで親同伴なんて企業まであるのです。
手放さなくてはいけない愛着を抱えるから高齢者虐待は増え続けるのですが、手放せない愛着ゆえに表面化しない。
これが高齢者虐待の実態です。
虐待する子と介護する子の違い
長男による親への虐待が最も多いというデータがあるようです。
では、長男だから親を虐待するのか?
この文脈は成り立たないですね。
このデータは、ナンセンスな議論に基づくアンケートなのです。
なぜなら、生きる本能に、子が親を介護するというファンクションが含まれていないのです。
ですから、長男であろうが、長女であろうが、次男、二女に限らず、子は親を虐待するファンクションを持っています。
では、虐待する子と、介護を率先してできる子の違いはなにか?
それは、本能ではなく、理性を獲得し、理性的に生きているかどうかの違いです。
理性的に生きている子は、親の在宅介護など、当然のように受け止め、こなし、そして最期をみおくります。
本能的に生きている子は、見ればすぐに判ります。
親への反感、わがまま、厚顔無恥、破廉恥、自分のことしか考えられない、変化できない、楽しか求めない・・・。
枚挙に暇がないほどの馬鹿にしか見えない行動しかとれない人間というのがお判りになると思います。
ですから、本能的に生きている子の前に、年老いた面倒な親御様が現れれば、虐待しかしないのです。
そして、虐待は本能による衝動です。
衝動ですから、自分は悪くないと必ず言います。
年取った親が悪い。
必ず言う虐待する子の言い分です。
認められない言い分ですが、この言い分を認めろとまで裁判で主張する馬鹿も大勢います。
馬鹿は死ぬまで治らないというのは、だからこそ事実なのです。
年老いた親への子による虐待と聞いて、思い出すのは暴力、暴言ではないでしょうか?確かに、判りやすい虐待例ですね。
ただ、これは見えやすく、氷山の一角に過ぎません。他にも、かっぱらいもあります。親の金銭のみならず、調理器具、食料品もなくなります。もっと卑劣なものだと、自分の古くなった調味料を親のモノと変えてしまうといった嫌がらせ行為もあります。
でも、ここに挙げたのは、私と私が介護した親たちが他の親族から実際に受けてきた虐待のほんの一例ですが、本当に可愛いものです。
憤りしかない、もっと卑劣な高齢者虐待の例の次の記事で紹介しましょう。