デイサービス初日

 母がデイサービスに伺う初日を迎えます。とても不機嫌そうなご様子から、行きたくないんだなぁ、というのが伝わります。

 もうひとつは、緊張感です。実社会で百戦錬磨の母も、やはりご年齢からでしょうか、若干、構えてしまっています。

 初めての場所で、すでにたくさんの人が集まっている場に、しかも誰も知らないところに飛び込んでいくのです。

 私だって、多少、緊張はします。しかしながら、まだ私の場合は、ワクワクしますね。母と比べれば、年齢が若いからでしょうか。

 介護サービス初日の利用者と家族の様子を紹介しましょう。

 ※トップの画像はデイサービス初日に母が玄関を出るその瞬間です。背中からも行きたくなさそうな雰囲気が伝わります。

もくじ

いざ、出発

 デイサービスの若い男性職員が迎えに来てくれます。

 割と体格の良い男性なので、母がより小さく見えましたが、男性職員に手を取ってもらえるのは安心です。

 そういえば、母の後ろ姿を見送るというのは、初めての経験かもしれませんね。

 これまで、私が小さい頃から母には見送ってもらってばかりでしたからね。

 このような時期を迎えたのかと思うと、感謝だけではなく、若干のノスタルジーも交じります。

数か月ぶりの、私が一人の時間

 母を送り出して、少し肩の荷が下りた感覚がありました。

 母と暮らし始めてから、デイサービスの初日を迎えるまでの数か月間ですが、毎日、24時間を母の認知症ケアに費やしていました。

 日々の暮らしを楽しむようにしていた半面、目を離さざるを得ないタイミングで生活上の不具合が生じないように気を配り続けるのが自宅内での認知症介護の実際です。

 例えば、認知症の親から目を離してしまったばっかりに家を出て行ってしまい、帰ってこなくなってしまったとなれば、もう取り返しがつきません。

 この事故は、非常に多いと聞きます。

 他にも、トイレを我慢できずに漏らしてしまい、それを判らせまいと汚れた衣類をタンスに仕舞いこんでしまうといった行為も考えられます。

 私も、母と暮らし始めた最初の1か月ぐらいは、認知症ケアの試行錯誤の連続です。

 どこまで母が一人で生活できるのか?、とそれも観察項目でした。

 例えば、私が用事を済ませるために外出して、母を一人残して、帰ってみるとセコムのスタッフが来ていた、といったこともありました。

 誰か来客があったのかもしれませんが、インターフォンを操作していて誤って呼び出した可能性がありました。

 母にとっても、私たち夫婦と3人で新たな生活がスタートした環境ですから、致し方ありませんが、他にも大小さまざまなアクシデントが日々、生じていきました。

 そのような、てんやわんやが続いた日々でしたが、母のデイサービス初日を迎え、私も緊張感がとけたのでしょう。

あっという間に母の帰宅時間

 まずは、済ませなければいけない用件を片付けなければいけません。

 年老いた親御様の在宅介護、特に認知症ケアが始まると失うものがあります。

 それは、時間です。

 自分の時間という意味でありません。

 他者と約束が成立たなくなります。

 約束には日時の同期が伴いますから、それが不可能になるのが在宅介護です。

 社会からの疎外感、孤立感もそこから始まります。

 この状況に対するこれまでにない見解、視点はいずれまた記事にしていきますが、いずれにしても溜りにたまった用件を片付けると、あっという間に夕方です。

 「ピンポーン」

 母が女性介護職人の方に手を取ってもらいながら、玄関をあけます。

 安堵しましたね。

 母は、朝に見送った時の表情とは異なり、満面の笑顔でご帰宅です。

さくらの母

楽しかったよ!

 母が手にしている荷物を受け取り、今日の施設での様子を簡単に女性職員の方からお聞きしました。

 私にとっては、笑顔で帰宅してくれれば、それで十分でした。

 施設と家庭をつなぐ連絡ノートがあるので、そこには感謝の言葉を綴ったのをよく覚えています。

 さて、母がデイサービスから帰宅したので、これから私は夕食の用意です。

 キッチンに立つ私に、母は今日のデイサービスの出来事をいろいろと話してくれました。

 母は、人との会話を楽しめる天才的なところがあり、施設での様子も私が想像しやすいように詳細に語ってくれました。

 でも、ここでおかしいこと気づきませんか?

 認知症なのに、なぜ、今日の様子や出来事を私が想像しやすいように話ができると思いますか?

 認知症を発症した当初は、ありとあらゆる認知症症状を露呈していた健康状態だったのです。

 例えば入浴拒否など、当然の日々もありました。

 それが、どこにでもいる健康には問題なさそうな親子の会話が成立しています。

 実は、後日のある日、母が語ってくれた施設での様子を介護職員の方にお聞きしました。

介護職員

えぇ、おかあさんのおっしゃる通りですよ。そのようなご様子で楽しく過ごしてもらっています。

 やはり、作話じゃないのです。

 私の母への在宅介護は、認知症症状の観察を否応なしに続ける環境でした。

 最初は、症状に右往左往する日々でしたが、徐々に認知症の正体が見えてきます。

 この記事で紹介したデイサービスでの出来事を流暢に話してくれる母の様子も、その正体解明に一役買ってくれました。

 現在の日本の法律を踏まえれば、これで認知症が治った!、などと安易に口走るのはいけません。

 しかし、私の母の認知症症状に対して、私の観察と、それへの対処という限定条件の取組結果は、誰かの役に立つでしょう。

 三度目となる岳母の介護では、一切、認知症とは無縁にできる確信をもって介護に取組めましたが、その礎は、最初の在宅介護となった実母の認知症ケアでの観察と研究が基礎になっているのです。

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