在宅介護で介護サービスを受けるにあたっての考え方をお伝えしていますが、この記事は、その締めくくりのサブジェクトになります。
そもそも在宅介護において、その時間、空間、経験は、年老いた親御様と介護するの子による共同創造の無形物です。
現代風には、親子の最後のコラボレーションが在宅介護です。
そのゴールは、精一杯に生きてくれた親御様の最期で決しますが、その成果物は、遺された子の心に宿る無形財産になります。
本物の介護サービスは、その無形財産形成への支援が提供できるか否かで決まります。
介護サービスに求めること
少し前のことですが、ニュース等で見受けたのですが、介護施設で働く職員がマッチョだったり、雀荘のような雰囲気だったり、送迎の車を介護と判らないように豪勢な感じにしたりだとか、そのような介護施設の企業努力が取り上げられていました。
それを求める利用者がいらっしゃるということでしょうから、その企業努力は否定できませんし、少々昔は、そのようなサービスは無かったのですが、仮にあったとしても、実母と私はそのような介護サービスは求めないですね。
そもそも、実母と私が介護サービスを必要としたのは、私が夜中も見守りが必要なことから、睡眠時間を確保するのが出発点でした。
それに、親が介護施設にお世話になったり、介護サービスを受けるというのはどういことになるのか。
その身をもって経験したのは、当時が初めてなわけです。
当時の日常は、認知症を患った実母の身体介助、生活介助のあらゆる支援を私が担っており、認知症から救ってやる手立てはないのかと、実母の様子をよく観察して頃でした。
確かに、私のレスパイト(在宅介護の継続が不可能にならないように)のためというのが介護サービスを必要とした出発点でしたが、もうひとつは、認知症の改善にむけた取り組みがあるのか、との期待もありました。
介護サービスと在宅介護の違い
地域で受ける介護サービスと自宅の在宅介護、同じ介護という言葉が並びますが、中身が全く違います。
もし、将来、ご自身が年齢を重ねたとき、日本には高品質な介護サービスがあるから安心だ、とそのようなお考えをお持ちであれば、年齢を重ねるほど不幸になります。
介護サービスと、在宅介護で、最も違うところ。
それは、あなたという人間の扱いです。
入居したままの施設や、デイサービスでも同じですが、その場所に行けば、あなたはどのような扱いを受けると思いますか?
過去に、どれだけ社会貢献していたとしても、事業で成功していたとしても、あなたは○○さん、でしかありません。
偉いのだから特別扱いしろ、という要求をぶつけたいのではありません。
もっというと、ご家庭では、父なり、母なり、親御様かもしれませんが、施設では、誰の父でも、母でもありません。
あくまでも、○○さん扱いです。
そこに病気が加われば、認知症の○○さん、癌をわずらっている▲▲さん、パーキンソンの××さん、になります。
そこにいる職員も、他の利用者も、誰も○○さんを親としての感謝を寄せません。
父として、母として、そして親として、重責を一身に担い、何とか家庭を切り盛りしてきたにもかかわらず、年をとって病気になれば、お役御免で施設に送られ、親としての感謝と尊厳は奪われます。
在宅介護は親子で創る無形の財産
私も、初めて介護サービスを利用したころは判らなかったのですが、介護の経験を積むにつれ、ハッキリと判ったことがあります。
それは、どの介護サービスを利用するにしても、そこには明確かつ、積極的な理由が必要です。
例えば、私の実母の介護では、次のような話し合いのもとに実母にはデイサービスの利用をお願いしました。
また、三度目となる岳母の介護では、訪問医療は受けましたが、介護サービスは一切、受けませんでした。
というのも、家庭での在宅介護こそが、年老いた親御様が、いつまでも親としての尊厳を保ち、感謝を寄せられる時間と空間だからです。
その時間と空間を創造した実績が、親の最期を通じて遺された子に無形の財産として心に燦然と宿ります。
しかも、その財産は、決して減りません。
一方で、その創造への貢献に寄与しない介護サービスであれば、まったく意味がないのです。
存在価値が無いのです。
また、親の介護が面倒だからと施設入所をさせるようであれば、遺された子の心には、その後の生涯にわたり消えない負債しか残りません。
介護サービス事業者は、子に負債が残らないように指導できてこそ本物なのですが、そんな超一流に出会ったことはありません。
在宅介護は、親と子による共同創造です。その時間と空間を創造した実績が遺された子に無形の財産として残るなどと表明しているウエブサイトは、当サイトしかないのではないでしょうか。
それぐらいに誰もが全く気づきもできない視点なのです。
なぜなら、多くの人が親の介護が面倒にしか思っていないからです。
当サイトでは、何度も記しますが、この地球上で年老いた親の介護をする生命は、人間しかいません。
しかし、それを面倒に思うようでは、理性を失った、それこそ人間失格であり、本能でしか生きられない動物たちと同等か、もしくはそれ以下なのです。在宅介護の機会が巡ってきたら、それはチャンスでしかないのです。