あなたは本当にデイサービスや介護施設のお世話になりたいですか?

 まだ、私が、年老いた親を介護する意義について、まったく無知だった昔のことです。

 付き合いがあったケアマネージャーから、こう言われたことがあります。

 『 あなたは本当にデイサービスや介護施設のお世話になりたいですか? 』

 このフレーズを聞いたときに、ドキッとした覚えがあります。

 当時の私は、心の内で、『 なんてことを言うのだろう? 』と思いました。

 しかし、実際に、ご自分が年齢を重ねた時、≪ 介護サービスを受けたい! ≫、と思いますか?

 多くの人がお世話になりたいとは思わない、これが現実です。

もくじ

仕方なく行く

 年老いた親御様は、何のために介護施設に行くのか。

 考えたことがありますか?

 年老いた親御様の介護が初めての方であれば、考えたことすらないという人も少なくないでしょう。

 年を取れば、要支援・要介護になれば、行く所。

 それも、家族にとって、厄介な存在になっているから行く所。

 これが、現代の介護の実態ではないですか?

 図星か、そうでないとしても、中らずと雖も遠からずのはずです。

認知症は、ボケ、アホ、マヌケになる病気ではありません

 認知症を患った人に接しない限り、認知症症状の現実は、絶対に理解できません。

 なので、認知症を患った人に対して、健常者はボケているといった偏見を必ずと言ってよいほど抱きます。

 要するに、言葉や態度にはできるだけ出さないけれども、目にはハッキリと浮かび上がらせる差別意識を秘めます。

 なので、認知症を患った人への偏見は凄まじいのですが、表面化しません。

 なぜなら、その偏見は、認知症を患った親に対して、介護をしなくてはいけない実の子が持つためです。

 私ですら、親の介護が初めてで、認知症に初めて接した時は、実母を母ではなく、認知症を患った人として見てしまった失敗があります。

 その後、実母の在宅介護を通じて、この態度を詫び、反省と共に、差別とは何か、生命の平等とは何かを探求し尽くしての今日です。

 しかし、初めて在宅介護を経験し、初めて認知症に接するご家庭では、認知症を患った親に対する偏見があるはずです。

 偏見や差別を乗越えなければ、親を親として見れなくなってくるはずです。

 ボケた認知症患者として、邪見な目で見ているはずです。

 しかし、認知症を患ったとしても、行きたくないところには行きたくありません。

 その例が、介護施設です。

 理由は、冒頭の述べましたね。

 あなたは、行きたいですか?

 自分が行きたくないのに、なぜ、親が行かなくてはいけないのか。

 親は、嬉々として行くとでも思いますか?

 それでも、親は介護施設に足を運んでくれるのです。

 この理由、わかりますか?

 認知症だから、わけがわからなくなって介護施設に行ってくれると思ったら大間違いです。

 あなたには、それが判ってから、必要な介護サービスや介護施設の検討をして欲しいのです。

心は認知症におかされない

 年齢を重ねたところで、行きたくないところには、行きません。

 介護施設に行けば、認知症が治るとでも言うのでしょうか?

 介護施設に行けば、認知症の進行が遅くなるといった意見も耳にしますが、本当でしょうか?

 仮に進行が遅くなるとしても、悪くなることに変わりはないです。

 当たり前すぎる結論なのですが、行きたくないところに行けば、それは気持ちの上でマイナスではないでしょうか。

 ですから、余計に悪化する恐れがあると考えるのが素直な見方のはずです。

 その上で、私の最初の介護では、実母にはデイサービスに通ってもらうにあたって、実母とよくお話をしました。

 実母にデイサービスに通ってもらう理由は、私の在宅介護で休む時間が欲しいということを理解してもらいました。

 そこには、私が、在宅介護で実母のお世話を最大限に努力したい気持ちが大前提としてありました。

さくら

お母さん、あのね、僕は、お母さんの介護を心底したいと思っているから一緒に暮らしているんだよ。

さくらの実母

そうかい。ありがとう。

さくら

お母さんと一緒にいる時は、いつも見守っているつもりだけど、ただ、実際にはそれが夜中も続くから寝る時間がなくなってしまうんだ。だから、僕にも休憩の時間が必要でね。その時間だけ、デイサービスのお世話になってもらえないだろうか。

さくらの実母

うん。わかった。そういうことなら行くよ。

 認知症を患っていれば、この会話の中身は分からないと思ったら大間違いです。

 十分に理解してもらえます。

 なぜか。

 この会話、頭で考えてから、言葉の一つ一つを熟考して答える内容ではないですね。

 これは、お互いに≪ 思いやる気持ち ≫から交わされる言葉です。

 これは心を通わせるのであって、脳を介在しません。

 なので、心の記憶にキチンと残ります。

 実母は、私の健康状態を慮って、デイサービスに通ってくれるようになるのです。

 この現実が証左するように、心が認知症に侵されないから、心を通じたコミュニケーションが可能になるのです。

 日常会話より、はるかにレベルが上のコミュニケーションです。

 認知症を患った人とのコミュニケーションは、これが基本です。

 誰だって、デイサービスや、介護施設に通いたくはありません。

 ですが、介護に仕事として職業にしてしまうと、介護サービスの利用をしてもらうのが目的になります。

 本来は、できるだけ介護サービスを利用してもらわないように健康状態を維持するように高齢者や、在宅介護の責任を担う家族を支援するのがプロフェッショナルな介護職のあるべき姿ですが、それが出来ていません。

 要は、要介護認定に至らないようにするにはどうすればよいのか。

 この支援をするのが、プロフェッショナルな介護職です。

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