信頼できるケアマネージャーと契約を終えると、ケアプランを作成します。
高齢の親御様の介護であれば、親御様の希望、家族の要望、その家庭に相応しい介護サービスを、いつから、どの程度の頻度で、どこの事業者が提供するのかを計画します。
私は、最初の経験となる実母の在宅介護で、初めて介護サービスの提供を経験しました。
当時は、何も疑問にも思わず、ケアプラン作成の話し合いをし、必要な介護サービスの提供を受けました。
しかし、三度目の在宅介護となった岳母の在宅介護では、≪ 介護を必要としない介護 ≫こそが真の目標でしかないことをマスターしていたので、いわゆる訪問医療以外の介護サービスを受けないのがナチュラルに目標になっていました。
介護の目標設定?
認知症を患った実母の在宅介護で、初めてのケアプラン作成時に疑問に思わなかったわけではありません。
そもそも、不思議じゃないですか?
介護サービスを受けるにあたっての目標設定の意味が。
例えば、オリンピックであれば金メダルが目標、というのは判ります。
会社であれば、売上高の目標。
中高生であれば、入学したい大学が目標。
これならば、判ります。
では、皆さま、考えてみてください。
介護サービスを受けるにあたっての目標とは何か?
在宅介護は親御様の死で終わる
当ウエブサイトをご覧の方であればお判りのように、年老いた親御様の在宅介護は、親の死で終わります。
ゴールは、親御様の死です。
ここで、皆さまに考えてみていただきたいのです。
そのゴールに向けて、介護サービスを受けるにあたっての目標とは何か?
さぁ、自称・介護のプロを名乗る介護職に従事の皆様からも、ぜひともプロの視点からの答えが欲しいところですが答えは出せないでしょう、無理ですね。
介護職は、介護≪作業≫のプロであって、介護のプロではないのです。
在宅介護は、親御様の死がゴールなのに、死を直視したことすらない人達が、介護サービスで目標を設定を一緒に検討できるでしょうか?
ところが、世の中が硬直化しているのです。
なんでもかんでも、仕事には目標設定だとか、計画だとか、実行だとか、チェックだとか、そんなものをしっかりやれば成果は必ずついてくるなどと、本当に間が抜けているとしか言えない行動様式しか知らないのです。
もし、介護サービスを受けることで、明確な目標を立てるのであれば、例えば、認知症を快方に向かわせる。
これであれば立派な目標ですが、絶対に叶えられない目標ですから、設定されるはずがありません。
なので、ケアプランの目標設定に、あまり意味がないのです。
ケアプランと言われて、マニュアル通りに作成するのが仕事としか思えないケアマネだとしたら、そのケアマネは、顧客を見ていないのです。
在宅介護の責任を持つ人の特権
親御様の介護は死がゴールである以上、それこそ命を懸けて授けてくれるその死を学ぶ。
その学びの修了は、在宅介護に責任を持つ子の特権です。
この学びを支援するために、介護サービスが存在すると考えた時に、初めて介護サービスを受けるにあたっての目標が生まれるのです。
これは、在宅介護で介護サービスを受けるにあたっての思想の中心から外してはいけない視点です。
もし、この視点が外れる時、親御様の介護なんて面倒だから、他人に任せてしまえという発想しか生まれないのです。
つまり、最期を迎えるまでの時間において、親御様との在宅介護のある生活を如何に過ごすのか?
- 在宅介護に責任を持つ立場である子において、この思想が固まっているからこそ、必要な介護サービス、そこで支援して欲しい内容が決まるのです。
最期を迎えるまでの時間において、親御様は、何に対して、どう向き合い、人生の決着をつけなければいけないのか?
- これを明確にしなければ、在宅介護における最期を迎えるまでの時間に有意義さは生じません。
私の在宅介護の経験を振返ってみましょう。
認知症を患ってしまった実母の在宅介護では、当時の私の思想に見合った事業所のデイサービスを主に利用しました。 しかしながら、岳母の在宅介護では、実母の在宅介護経験を十二分に踏まえます。
その結果、≪ 介護を必要としない介護 ≫の目標に向けた実践が実り、岳母は認知症とは無縁となり、最後の最期の期間においてだけ、医療行為がどうしても必要なために訪問医療の提供を受けるのみとなっているのです。
ケアプランの目標とは、年老いた親御様の在宅介護に責任を持つ子の思想の高いクオリティがあって、初めて定まるのです。
基本的にケアプランで策定する目標に意味はありません。
現実的にも、おざなりになっているはずです。その証拠に定めた目標に対して到達度合いをチェックするような話し合いがありますか?あるわけがありません。
親御様が最後を迎えるその時までに、親御様が向き合い、取り組まなければいけないことは、介護サービスなどの次元にあるはずがないのです。
なぜならば、在宅介護のゴールラインは、≪ 死 ≫なのです。
介護サービスを提供する事業者や、自称・介護のプロという人達のなかに、どれほどの人が死を学び、知っているのかと言えば、皆無に等しいでしょう。
在宅介護を意義あるものにするには、死を直視できて、スタートラインです。しかし、世の中の人は、生きたい、そして死にたくない感情の衝動に駆られて生きているので、直視した経験などないのです。