私の家のケース:認知症の在宅介護の始まりと奇跡

 認知症の確定診断が出た後も、母と私、そして家内の三人の暮らしがバタバタと続いていくことになりました。

 母を虐待から切り離すために新居を借りたのですが、物件を探し始めた当初は、まだ認知症症状を発症していませんでした。

 なので、特段、認知症介護を強く意識して探したわけではないのですが、たまたま借りた物件がとても在宅介護に向いていたと判ったのは、もうしばらく後になってからです。

 また、母との同居は十数年ぶりです。もうひとつ、私と家内もお付き合いは長いのですが、一緒に同居するのも実は初めてです。

 もちろん、母と家内は、初めての同居です。そんなお三方が、新居で、新天地で、ひとつ屋根の下に暮らし始めるのです。

 ちなみに、その新居は3LDKのマンションの一室です。

 そこに、認知症が加わるのです。

 親の介護なんかまっぴらごめん、という人達にとっては耐えられない環境かもしれませんね。

もくじ

まさか認知症がセットになるとは・・・

 家内ともよく話し合い、母も一緒の同居は快くオッケーをしてくれていました。

 しかし、私も家内も、母がまさか認知症を患うとは思っていません。

 それだけ、母は快活で元気だったのです。

 ところが、母が認知症を患ったとなると、私も家内もこれからの生活にただならぬ雲行きのあやしさを感じざるを得ません。

 そもそも、見も知らずとまではいきませんが、3人それぞれ自立、独立して生活していたのが、急に一つ屋根の下で同居を始めるのです。

 それだけでも、同居生活のペースをつかんでいくのは簡単ではありません。

 食器の洗い方ひとつ。

 料理の味付け一つ。

 洗濯もののたたみ方一つ。

 洗面所の使い方一つ。

 小さなことから大きなことまで、どれをとっても3人の生活習慣はまったく違うのです。

 例えばトイレも、問題です。

 一つしかありませんから、バッティングします。

 そんな環境下にプラスして、認知症です。

 そもそも、私も家内も認知症を患った人と長時間にわたって接したことすらないのです。

 ましてや、認知症のケアをしながら一緒に住むとは思いもよらず、近未来さえどうなるかなど想像もできません。

周囲の応援のクオリティが奇跡的

 このような状況だったからかもしれません。

 奇跡が生まれるのです。

 私が借りたマンションの隣に、実は中学時代の大親友が以前から引っ越していて住んでいたのです。

 その彼は、ごきょうだいで、パーキンソン病を患うお母様を20年以上も介護をしながらつつましやかに生活をされていたのを、その時に初めて知りました。

 しばらく会っていなかったのですが、私にとって、彼は在宅介護の大先輩になった姿を見せてくれました。

 お隣同士になったのが判った時には、友人も、私も、お互いにビックリしましたが、嬉しさを分かち合いました。

 非常に心強く感じたのも覚えています。

 同時に、パーキンソン病という難病を患ってしまったお母様を20年以上も在宅介護で支援してきた友人の手前、私も、家内も、在宅介護で泣き言は言えなくなりました(笑)。

困難さが周囲の助けを引き寄せる

 人は有頂天になるほど、没落の闇は深くなります。

 しかし、没落して困難さを抱えても、そこで省みて、手放すものを手放しながら、苦しくても一歩一歩、善い行いを積み重ねていくと、助けは入ります。

 有頂天と言っても、いろいろあります。

 いわゆる調子に乗っているといった状態は判りやすいですが、手放す時はとっくに過ぎているのに執着し続けるというのも同じことです。

 執着の先は、地位、名誉は判りやすいでしょう。

 また、子や、親への執着も、親離れ、子離れが必要と言われる所以です。

 確かに、虐待や、認知症といった高齢者にまつわるネガティブな事象は避けて通りたいものでが、多くの人にとって無理でしょう。

 しかし、それが本当にネガティブな事象なのかどうかは、それに直面した人が、どう接し、どう解決したかで未来は善くも、悪くもなります。

 善くしようと全力で解決する心意気があるとき、奇跡的な助けが入り、ネガティブに見えていた事象は新たな飛躍へのきっかけになるものです。

 ヤングケアラーが問題だ、というフレーズを聞くと思います。

 私は40代前半から介護が始り、そこから10年を超えて続きました。

 この記事で紹介した友人は10代後半からお父様の介護と看取り、そして20代前半からお母様の介護を20年以上、続けてきました。所謂、ヤングケアラーという言葉がある前から若くして両親の生きるを支援をしてきた実績のある人間です。ごきょうだいで力を合わせて支援をされ、仕事も誠実ですし、信頼も高く、長きにわたり会社から欠かせない人材として活躍しています。

 なぜ、助けが必要な人を助ける人が若いからと言って、問題として扱われて報道されるのか。学業に差支えが出るから?

 馬鹿いうのもほどほどにした方が良いです。学校に行って、いじめに合わないかどうかを心配しなければいけないほうが、よほど学業に差支えが出ます。

 そのような報道の狙いは、日本人が古来より大切してきた道徳の破壊でしかありません。

 若くても必要であれば親を大いに助けてあげてください。そのうえで勉強もしてください。いまはネットで大いに勉強できる時代です。AIは、学校の先生より早く的確に、その答えの背景も含めて、困難に直面するあなたの疑問に答えてくれます。

 平成、令和と無益に時間が過ぎゆく現代です。日本がどのように成り立っているのか、その国体(國體)も教えず、修身となる道徳も教えられず、塾に通わなければ希望の大学さえもいけないような教育体制が、国の本当にあるべき姿として相応しいと思いますか?

 それで、教員のサビ残が問題?、いじめが問題?、少子化が問題?、当たり前の帰着じゃないですか。教育とは何か?子供たちに何を教えれば良いのか?、それすら大人が自分で判らないのですから。

 ヤングケアラーとなれば、苦労も多いですが、生きる術の要領を掴み、ネットを駆使して学問を誰よりも早く修めるほうが、何も疑問に思わずその他大勢の流れの後塵を拝して大人になるより、比較にならないほどはるかに成長が期待できます。

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