岳母の在宅介護方針
私にとって、3度目となる在宅介護は、これまでの介護とは異なり、未病や、健全な病への向き合い方に重点を置きました。
というのも、実母、岳父と続いた介護では、認知症を患ったり、病状が重篤になってからと、何かしら病気を抱えてからパワーをかけていくスタイルでした。
ただ、これはそうしたかったわけではなく、そうせざるを得なかったいくつかの事情がありました。
その事情のひとつは、介護は必ず終わりを迎える、その意味するところの意識統一を親子でやれなかったところがあります。
つまり、親も子も、死を忌み嫌い、遠ざけていると、有意義な残りの人生を歩めません。
終わりを明確に意識できるから、今をどう生きるのかが決まります。
今を生きる
今をどう生きるのか?
それが明確になれば、病気にならないというわけではありません。
そうではなく、例え重篤な病を抱えたとしても、今をどう生き、最期まで有意義な人生を切り拓いていけるのか、それを実践できるようになります。
その良い例を示してくれたのが、アップル社の創業者であるスティーブ・ジョブズ元CEOです。
彼は、50代の若さで膵臓癌を患い、余命宣告を受け、死を直視し、受け入れ、「人生で大きな決断をするうえで、私が手にしたなかでも、もっとも重要なツールだった」、と述べています。
このフレーズの意味するところは、死を忌み嫌い、遠ざけている人には理解が難しいでしょう。
生きるとは手放す決断
いつまでも元気に長生きをして欲しい。
大切な人にそう願うのは、当たり前ですし、ほとんどの人は漠然と、死にたくないと思っています。
しかし、現実は違うというか、在宅介護のシチュエーションは、親御様の誰もが例外なく死に向います。
ところが、これが受け入れらないとどうなるか?
スティーブ・ジョブズ元CEOの言葉を借りれば、大きな決断ができなくなります。
若い人の中には、老後に決断することなんてあるわけ?と思われる方も多いでしょう。
実際に、最期は自分自身の身体すらどうにもならなくなるのが、肉体の死です。
思うようになると勘違いしていた身体すら手放さなくてはいけない状況になります。
そこに例外はありません。
つまり、決断とは、「手放すこと」。
死を直視できる親御様にとって、人生とは手放していくことを知っています。
ですから、心身ともに楽になり、健やかに日々を過ごし、最期を迎えた時に「さようなら、幸せになってね!」という気持ちで旅立っていけます。
私の3度目になる岳母の介護は、この実践を追求し、最終的には、介護を必要としないのが本当の介護という結論を手にします。
なので、いわゆる介護作業にフルパワーをかけたのは、最期の向かっていく期間です。
それまでは、生活の中で介護を必要としない介護の実践、つまり、今を生きるを一緒に学び、生活に取り入れる支援の実践でした。
死に至らしめる病は治癒できない
名医であっても、死に至らしめる病の治療はできません。
2023年の夏ごろに、その事態は前触れなく訪れます。
この夏は、猛暑でした。
岳母の死因は、いまここでは伏せますが、見つかった時にはもう手が施せないところまで病状が進んでいました。
おそらくは、岳父の介護で心労が重なったのも大きかったのではないかと、想像しています。
ただ、岳母もまた病魔に侵され、最期を迎えていく苦しさはあっただろうに、それを一言も口にせず、表情には穏やかささえ現れ、その時を迎えていきました。
あっという間に最期を迎えていくプロセスを経験しました。
在宅介護の責任を果たしました
同時に私が責任をもつ在宅介護のすべてを終えました。
30代の頃は、介護は自分には関わりのないどこか遠い他人事のようなイベントにしか思えませんでした。
それが今となっては、在宅介護へのあるべき姿を追求して、実践して、このように情報発信までしているのですから、面白いものです。
親の在宅介護に責任をもって初めて判ったことも多々あります。
例えば、この地球ではおびただしい種類の生命が生息していますが、子が年老いた親の介護をする生命は、人間しかいない。
この事実は、人の理性を証明します。
人間であっても、本能のままに生きていれば、親の介護なんてできません。
親の介護から逃げている人の心を覗いてみると、それがよく判ります。
高齢化は問題?
いま、日本では、いまだに高齢化となる社会が問題視されがちです。
しかし、世界を見渡してみれば、長寿社会にまっしぐらです。
本来、喜ばしい状況のはずですが、世の風潮は若干異なるのかもしれません。
その風向きを正そうという気はありませんが、もし、親御様の在宅介護に責任を持ち、その機会をどう人生の糧にすればよいのかと思われる方にとって、ヒントや答えの多いサイトの構築を目指していこうかな。
そんなような思いが、当サイトの原点になっています。
10年を超える歳月に渡り、実母、岳父、岳母と続いた在宅介護を終えました。
全力を傾けたおかげでハッキリと判るのが、これで最低限の約束と責任を果たした実感を手にします。
親の介護なんか、まっぴらごめんという人も少なくないでしょう。
でも、人間で生まれた以上、人間以上で死ななければ意味がない。
私は、そのように思っています。
同時に、在宅介護は、地球上のどの生命の営みを観察しても人間にしか出来ない取り組みです。
人として生まれた自分に対する最低限の約束と責任を果たした感を手にする所以です。