在宅介護の回顧録は、私にとって三度目なった岳母へ在宅介護から紹介を始めていきます。
その始まりは、2度目の介護の終わりからです。岳父にお別れを告げ、その悲しみをどう飛躍のバネにしていくのか。そんな課題から始まり、次々に問題は生じますが、家内と私が中心になって、岳母の今を支援していきました。
私にとって、在宅介護の集大成ともいえる取り組みの始まりですが、その出発点は何か?
明確にしていきます。
超えられない壁
今から十数年ほど前の2012年頃、私にとって、当時まったく未知なる分野であった在宅介護に取り組み始めました。
その取り組みでは、さまざまな課題が次々と生じました。
- 認知症とは?
- そもそも老いとは?
- 病とは?
- 死とは?
- 親と子の関係は?
- 人間関係は?
- 幸せとは?
- 生きるとは?
- 仕事とは?
- お金とは?
- 夫婦の関係とは?
- 社会とは?
列挙した課題に限らず、大小さまざまなハードルも生じました。
簡単に答えを導き出せないものも、少なくなかったです。
在宅介護の責任を担う以前の私は、仕事で可能性が少しでもあれば、ビジネスの成功を目指してきました。
失敗もありましたが、成功に導いたときの達成感には喜びがあります。
しかし、在宅介護を担ってみて、初めて判ったことがあります。
生きるためのフィロソフィーでは、絶対に超えられない壁、それが明確にあります。
なぜ?死は忌み嫌われるのか
生きるためのフィロソフィーでは、超えられない壁。
それは、死です。
成功者が死を認める。
私が学ばせてもらった、大切にしている言葉の一つです。
ただ、認められるようになるにも、ハードルがあります。
やってみるとわかりますが、もし貴方が介護を担う子の立場であれば、親御様に死を認めるように伝えてみてください。
大概、嫌われます。
当たり前ですね。
でも、この当たり前が、なぜ当たり前なのか?
理由を的確に説明できるでしょうか。
いずれ、このサイトでも触れていきますが、ぜひ、ご自身でもリサーチされてみるのをお勧めします。
三度(みたび)介護が始まりました
3度目の介護ということは、2度目の介護の終わりが始まりです。
つまり、岳父とのお別れがきっかけです。
大切に想ってきた人が亡くなる現実。
多くの人が忌み嫌い、遠ざけたいはずです。
しかし、この現実から、目を背けない。
岳母の支援は、ここが出発点になります。
なぜなら、大切な人を失った悲しみに浸れば浸るほど、岳母のためにはなりません。
落ち込みもまた、ご自身を傷つけていく良くない行為です。
そうではなく、死を認める。
このコンセプトを基礎に、私の在宅介護の経験も活かし、岳母に成功者の道を歩んでいただく。
私にとって、3度目の在宅介護の方針です。
結論から申し上げれば、介護を必要としないのが本当の介護、というのが介護について私がたどり着いた境地です。
この境地になれば、在宅介護のある日常が生活に負担を強いるものではありません。
その出発点が、死を認める。
なぜ死を認めると、介護を必要としない介護が実現できるのか?
そうなるに至るまでのストーリーを今後、お伝えしていきます。