年老いた親御様の在宅介護は、好転しかしないターニングポイントです。
理由は、簡単です。自分の人生に≪ 期待 ≫は成り立たないとハッキリと自覚できるからです。例えば、全力で、それこそ命懸けで介護すれば、親御様に認知症は治るでしょうか?治りませんね。
他にも、介護する親御様が亡くなる年月日は、いつなのか?全く、わかりませんね。判らないのですから、預貯金を切り崩しているとすれば、かなりの節約生活を強いられ、経済的には苦しくなる一方になります。
しかし、それが人生を好転させていくスイッチです。
人生が期待で出来ていませんか?
10代の頃は、勉強で良い成績を納め、良い学校に行くこと。
20代の頃は、良い会社に勤め、良い結婚をすること。
30代の頃は、仕事で成果を出し、子供もすくすくと成長し、良い学校に通うこと。
おそらくは、この程度の人生プランを幸せと考えて期待していた人も多いのではないでしょうか?
特に、夢や希望をもって、自分の将来を切り拓かんとばかりに頑張っていたかもしれません。
ところが、どこかで挫折する人も、年齢が高くなるにつれて徐々に増えていきます。
壁にぶち当たり、困難に打ちひしがれ、立ち直れないくらいの失敗に見舞われたりもします。
そして、さらに頑張る人もいれば、あきらめる人も出てきます。
40代で将来の頭打ち感を顕著に感じ、50代ともなれば年老いた親御様の介護が頭をもたげるはずです。
『こんなはずではなかった・・・。』
そう思う人も多いはずです。
なぜなら、生まれてから今日まで、自分の人生に≪ 期待 ≫してきたはずです。
親の期待、家族の期待、そして周囲からの期待にも応えようとしてきたはずです。
それら全ての期待に応えようと頑張ってきた結果が、こんなはずではない結果だったのです。
『努力が足りなかったのか・・・』
『能力が無かったのか・・・』
『運が無かったのか・・・』
そう思い込むほどに、怪しい宗教や自己啓発の罠に引っかかり、幸運に恵まれるブレスレット購入や願望実現セミナー参加に迷い込むので気をつけましょう。
こんなはずではなかった、その理由。
それは、人生に≪ 期待 ≫しすぎていたに過ぎません。
まず、自らを振返り、この事実を確認しましょう。
期待は妄想
確かに頑張りや、努力は大事です。
だからといって、思い通りに人生になるのかと言えば、なりません。
例えば、好きで結婚したのに、すぐに離婚する。
結婚後の人生は、結婚前の期待とは、全く異なるからです。
頑張りや、努力云々の話ではないですね。
どれだけ、≪ 期待 ≫を膨らませて生きているのか。
その膨らませてしまった空想のことを、妄想と言います。
妄想が、過信を生み、人生に過剰に≪ 期待 ≫をかけます。
よく紙に、夢リストを書いておくとその願いが叶うといった話を聞きませんか?
私に言わせれば、それらは、≪ 期待 ≫リストです。
有効期限は、せいぜい20代ぐらいまでが限界です。
また、仮に、思い通りになったとすれば、期待は慢心へと変わり、人生が奈落の底へと落ちていく号砲となります。
有名人でも、年齢を重ねるほど、表舞台から転落していく人を多く見かけるはずです。
彼らほど、期待という名の妄想に駆られて生きている人はいません。
では、どうすれば、自分の人生に≪ 期待 ≫せずに、幸せに生きたらよいのか?
そんな疑問が生まれるはずです。
これには、とてもシンプルな答えが用意されています。
それは、人生の≪ 期待 ≫に応える。
例えば、認知症を患ってしまった年老いた親御様を在宅介護する。
おそらく、誰一人として、夢リストには記載しないアイテムのはずです・笑。
しかし、あなたの人生からの大いなる≪ 期待 ≫であるのは、間違いありません。
在宅介護は期待と妄想を許さない
年老いた親御様の在宅介護は、子に介護のある暮らしをリクエストします。
多くの人は、それを嫌がるため、きょうだいの中でも、逃げ出す子は多いものです。
しかし、やる機会を得たのであれば、是非、真剣に取組んでください。

身も蓋もない言い方をして申し訳ないのですが、在宅介護は、親の死で終わります。
その死に至るプロセスで、老いと、病を支えます。
これが生きる、という現実をまざまざと見せつけられます。
人間の穴という穴からは、汚物しか出ない事実も理解できます。
呼吸が出来なくなれば、苦しさが増していきます。
食事も喉を通らなくなれば、衰弱して、歩くことはおろか、立ち上がれなくなります。
誰もがその状態に向かっているのが、≪ 生きる ≫なのです。
この事実が理解できれば、犯罪に手を染めるなどとは無縁になります。
また、その状態で、夢リストにある年収1億円。
意味ありますか?
夢リストにある都心のタワマン購入。
あと200年ぐらい生きるのであれば買っても良いかもしれませんね。
そして、いつ、あなたが周囲の助けを必要とする年齢になるかなんて、実は判らないのです。
交通事故に遭遇し、明日から車いすを必要とする生活を余儀なくされる可能性は否定できません。
それでも、人生に期待が成り立つと思いますか?
そうじゃありません。
人生の期待に応えるのが、生きる術の中心に変わります。
年老いた親御様の在宅介護の機会が、そのスイッチを入れてくれます。
在宅介護であれば、家族全員が幸せに一緒に暮らすためにどのような創意工夫をすればよいのか?これは、在宅介護の生活が続く限り、終わらない課題として輝き続けます。
課題が輝き?、そう思う方もいらっしゃるかもしれませんね。
あまりにも目標だとか、夢だとか、そのようなお花畑的なワードがまかり通ってきた世の中なので、ピンとこないかもしれませんが、生きていると常に課題が生じます。
亡くなるその時まで、生じます。
例えば、自分が余命宣告されたと想像してみてください。好きなものを食べまくれば、納得のいく終活になりますか?なりませんね。
課題の正体は、人生からの大いなる≪ 期待 ≫です。その期待に大いに応えていける今が、幸せの正体です。