認知症は脳の疾患であり、心は認知症に罹患しません。

 認知症を患うと短期記憶を失いがちです。

 例えば、玄関鍵の開閉を教えても、覚えられない。お湯を用意しようとやかんを火にかけて忘れる、などなど。それが当たり前の日常への変わっていきます。

 そのため、在宅介護では、目を離せなくなりがちです。さらには、コミュニケーションがとれないとなると、年老いた親御様を介護する子もストレスが溜まります。場合によっては、高齢者虐待へとつながりかねません。

 この記事では、そのような困難な状況をどう乗り越えていくのか、私流のそれをお伝えします。

もくじ

記憶とは何か?

 年老いた親御様と話をしていると、昔の記憶はとてもハッキリしています。

 この内容は、次の記事にまとめていますが、要は感情が伴っている記憶は呼び覚ませます。

 嬉しい、楽しいといった心の動きが大きく作用した出来事です。

 下記の記事で詳しく紹介していますが、その感情がインデックスとなって、過去の出来事が今に蘇るのが≪ 記憶 ≫です。

 これらは、すべて心の記憶です。

 一方で、心の動きが伴わない記憶もあります。

 専門家は別として、義務的に暗記した数学の定理などは、今となっては思い出せないはずです。

 これは、脳による記憶です。

 そもそも認知症は、脳の疾患であり、心は認知症に罹患しません。

 この観点は、認知症ケア、在宅介護、そして介護サービスの現場でも、非常に重要な認識になります

 もちろん、絶対とまでは言い難いのですが、認知症を患っても、心を伴う記憶は覚えてくれやすくなります。

 よく言われるのが、住み慣れた場所で、地域の人間関係を大切にしながらというのがご高齢の方々の望まれるライフスタイルだ、といった情報が多くもたらされているはずです。

 しかしながら、下記の記事でも紹介していますが、私の在宅介護は、新居に引っ越して、しかもこれまで同居すらしたことのない3人が集まってスタートしました。

 それでも、在宅介護が上手くできた理由は、認知症を患ったとしても如何に記憶を育んでいくのか?

 この注力に尽きると言っても、過言ではありません。

 当然、3人による暮らしそのものが、≪ 楽しい ≫こと。

 つまり、下記の記事あるような≪ 暮らし ≫と≪ 生活 ≫の違いをハッキリさせています。

 暮らしが≪ 楽しい ≫のであれば、そこに信頼関係が育まれていきます。

 在宅介護や、親子関係に限りませんが、楽しくもなく、辛さしかない環境と人間関係では、相互に信頼関係は生じるわけがありません。

 年老いた親御様の在宅介護では、≪ 楽しい ≫暮らしの実現が、短期記憶の障害への支援ばかりでなく、認知症ケア全般の基礎になるのです。

捨てる記憶

 暮らしが≪ 楽しい ≫であっても、認知症の短期記憶が完全に回復するわけではありません。

 そのため、重要性の低い事柄は捨て、捨てたところを介護する子が支援します。

 ポイントは、若い年代には重要であっても、年老いた親御様には必要でないと判断できる観点を持ちます。

 必要でないと判断した事柄には、特段、心がときめかない対象が多くなるはずです。

 例えば、日付。

 若い年代では、それは必要ですが、年老いたら特段、重要になりません。

 それよりは、規則正しい生活を一緒に営むほうが、暮らしにリズムが出てきます。

 他にも、季節感も介護する子が着替えを≪ 楽しい ≫観点で用意してあげさえすれば良いと判ります。

心のあらゆるトキメキを伴わせる

 心がときめかなくても、どうしても覚えて欲しいところは工夫します。

 例えば、室内の灯り。

 下記の記事は、トイレ介助だけでなく、室内の灯りついて、短期記憶の障害を克服した例を紹介しています。

 私の在宅介護では、母が操作して良いスイッチに蝶々のシールを貼りました。

 可愛いという心のときめきが、認知症の母にスイッチを正しくオン/オフできる行動を促します。

 これは、母にとっても自信になりますから、短期記憶の障害を乗り越えていった好例ではないでしょうか。

 他にも、下記の記事にあるように、トイレ介助の工夫も紹介しましょう。

 これは、私がトイレの介助をさせて欲しいとお願いしました。

 わざわざやってやるんだ、という姿勢ではないところが重要なポイントです。

 誰でもそうですが、誰がトイレの介助をして欲しいと思いますか?

 誰だって、一人で用を済ませたい。

 それは、誰だって死ぬまでそう思っています。

 もし、それが判らなければ、大人用のおむつに大便をしてみてください。

 簡単には、できないはずです。

 まず、一人で用を済ませたくても、それが出来ない気持ちをまず理解して欲しいのが、トイレ介助なのです。

 介護される親は、子から介助させてほしいとお願いされれば、心は必ず動きます。

 その心の動きがあれば、たとえ新居であっても、トイレの場所は覚えられるのです。

 多くの認知症ケアでは、心のハタラキを理解しないままの内容が多いように見受けます。

 認知症は、脳の疾患であって、心は認知症に罹患しない。この現実が洞察できれば、認知症に罹患した親御様を認知症患者として接しなくなります。

 この態度は、実は、認知症に限りません。パーキンソンだろうと、麻痺であろうと、その症状を患った人として接するのではなく、その人の心そのものとのコミュニケーションが始まります。病は、肉体、つまり物質に生じているに過ぎない洞察と、それを見極めている態度と姿勢。

 これこそが、介護のあるべき姿勢であり、在宅介護で介護する子がマスターできる理性ある人間の姿勢になります。

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