認知症を患うと、日付や季節が判らなくなります。
認知症症状に初めて接した頃は、驚きます。
なんで、そのようなことも判らなくなるのかと。子としては、親にその程度のことを間違って欲しくない、そんな感情が生まれます。また、そのような症状が悪化しないようにと、様々なトレーニングも持ち出します。
例えば、日付が判らなくなっているのであれば、日めくりカレンダーを導入しよう!、そうお考えになるご家族も、きっと多いかもしれません。
私も、そのような取組に励んだ時期があります。
失った機能は戻らない
母と私の在宅介護が始まった頃、紆余曲折があって、賃貸の住まいを借りていました。
表玄関にはオートロックもあり、各戸は二重ロックの玄関でした。
賃貸の住まいに引っ越す前、母の住居もオートロックで、二重ロックでしたから、新居も鍵の扱いは問題ないだろうと思っていました。
しかし、実際に住居への入退出をやってもらうのですが、上手くできません。
何日かを費やして、鍵の開閉トレーニングをやりましたが、結論は難しい。
当時は、あきらめましたが、それが認知症による影響だと判っていても、私もその現実を受け入れらなかったのを覚えています。
どこかになんとかできる答えがあるはずだ・・・
どこかに、何かに期待したい気持ちを燃やしていたのでしょう。
在宅介護も、認知症ケアもまったく初めてだった頃です。
しかし、結論からいえば、失った機能は戻らないのです。
日付がなんとか判るように・・・、ムリ筋です
認知症を患うと、日付が判らなくなります。
よくネット記事等で語られるのが、日めくりカレンダーの導入です。
介護する子供としては、この程度は間違わないで欲しい・・・。
そんな風に親に対して思うものですから、なんとかその程度はできるように、回復できないかと試行錯誤するものです。
そこで導入したが、くまモンの日めくりカレンダー!
家内がくまモン・ファンだったこともあり、我が家では比較的その地位は高く、母も、くまモンのぬいぐるみ等々を可愛がってもいたので、これなら日付感覚も取り戻せるだろう、そのように目論見ました。
トップの画像にあるようにテレビの横に設置しました。
お母さん、朝起きたら、くまモンの日めくりカレンダーをめくってね!
あら、くまモンじゃない。可愛いね。
判ったよ、朝起きたら、めくっていきましょう!
まぁ、こんな会話で、幸先よく、くまモン日めくりカレンダーをめくる日がスタートするわけです。
しかし、継続して3日が限界です。
毎朝、母を起こしに寝室に伺うのですが、母も、私も、めくらなくなります。
そして1週間経ち、1か月たち、くまモンの日めくりカレンダーだけは過去を示したまま放置される運命に・・・。
意味ねぇ~なぁ~・・・
あきらめました。
あきらめるから、答えが判る
認知症ケアに取り組むのが初めての頃は、どうにかして失った機能を取り戻そうと、あらゆる手段を取りがちです。
そのことで上手くいくこともあるのかもしれませんが、私の経験ではどれも上手くいきません。
というよりも、上手くいかないのが正解だ、というのが私の見解です。
なぜなら、認知症を患った母の状態からすれば、認知症症状が生じるのがナチュラルです。
であれば、機能を失ったところを、介護する私がどうフォローするのか?
この答えを出していくのが、認知症ケアのはじめの一歩だ、と判るわけです。
それは、できないものはできないとして諦めるところが出発点です。
住まいの鍵の開閉が上手くできないのであれば、一緒に外出を楽しめばいいわけです。
日付が判らなくても、介護する私がオートマチックに判っているわけですから、母と私の生活に何も支障は生じないわけです。
認知症を患った親の姿を見て、最初は、驚くことも多々あります。
というより、それが普通です。
しかし、それは単なる症状であって、母であることには変わりません。
なぜなら、心は認知症に罹患しません。
母の心は、昔からの母のままです。
ですから、認知症ケアの本懐は、できなくなってしまった≪ 考えてどうにかしなくてはいけない ≫日常をフォローすればよい、その答えにたどり着くわけです。
失った機能を取り戻そうとしたり、これ以上、悪化しないようといった発想も判りますが、心は認知症ではないのですから、心の力を発揮できるようにする。
これが認知症ケアの本懐だと理解が及ぶようになるわけです。
その出発点が、あきらめる。
挑戦しがいのある取り組みのはずです。
よく年老いた親を介護する子による暴力が問題視されますね。
年老いた親御様に、元気だった頃の姿を求めすぎじゃありませんか?
自らのその期待が、叶わない時に、その期待は怒りに変わります。
老いとは何か?親御様の介護をする経験というのは、その観察を通じて、生きるとは何か?を学ぶ機会と捉えられる程度の器を発揮する時なのです。