私の母は認知症なのに、なぜ凛として道徳に強いのか?

 在宅介護、というよりも年老いた母の生きるを支えているうちに、親子の関係性は深まりを見せていきます。

 親であり、私を産んで育ててくださって、巣立たせてくれて何十年というお付合いなのですが、母に対して、新しい発見が日々、生じます。

 これまでは、自分にとって母という存在ではありました。しかし、一人の人間として、生命として、なぜ、老いてもなお非常に凛とした姿勢でいられるのか。

 老いていくあるべき姿を私に教えているかのようでした。

 認知症を患っているにもかかわらず、なのです。

もくじ

認知症だから・・・

 世間では、認知症への恐れは非常に高いものがあります。

 確かに、進行してしまった人をみれば、誰もが怖い病気だと思うでしょう。

 私の母も、認知症ではないか?、そう疑った当初の言動はとても私の母とは思えないものがありました。

 ところが、そこから私なりに全力で支援を継続していった結果、コミュニケーションは至って普通に親子の会話が日常になってきました。

 もちろん、短期記憶が問われる認知症のテストは回答が難しい状態ですし、身体介助、生活全般にわたり支援が必要ではあるのですが。

 ある日、担当のケアマネさんが定期訪問に来てくださったときも、次のようなコメントをされるぐらいの状態でした。

ケアマネ

次に要介護認定のチェックが入るときは、今は要介護3だけれども、要介護1ぐらいになるかもしれませんね。

さくら

それは嬉しいですが、介護保険があまり使えなくなるなぁ・・・(笑)

認知症症状のイメージとはかけ離れている

 どのような認知症症状を露呈していたのかは、書きませんが、およそほとんどの認知症症状を見せてくれていました。

 そのため、母の認知症介護の最初の頃は、非常に翻弄されました。

 例えば、認知症症状の代表例との一つでもよく耳にすると思いますが、入浴拒否がありますね。

 あれには、てこずりました。

 しかし、母と家内、そして私の3人の生活が始まり、しばらくしてからは認知症による問題行動に翻弄されることは、ほとんどなくなっていきました。

 前回の記事にもありますが、私が母に愚痴をこぼすとキチンと正面から受け止めてもくれます。

 そして、在宅介護の日々は続くのですが、その中でだんだんと気がつくのです。

私:お母さんと会話をしていると、道徳や、処世術の話は、まったくブレが無いよなぁ。賢者とは言わないけれど、キチンとした道徳観で話をしてくれるし、ここまで生きてきて得た知恵というのかなぁ、そういうのが世間で語られるよりよほど有益なものが多い。とにかく、その道徳感は学びが多い。

さくら

お母さんと会話をしていると、道徳や、処世術の話は、まったくブレが無いよなぁ。

賢者とは言わないけれど、キチンとした道徳観で話をしてくれるし、ここまで生きてきて得た知恵というのかなぁ、そういうのが世間で語られるよりよほど有益なものが多い。

とにかく、その道徳感は学びが多いよなぁ・・・。

 もちろん、認知症テストをすれば、短期記憶は難しいですし、排泄、食事、入浴といった日常の生活支援は必須です。

 しかしながら、一般的な情報で報じられている認知症の症状のイメージとは、良き違和感として、大きくかけ離れているように私には感じられていたのです。

母は認知症なのに、なぜ道徳に凛として強いのか

 私が感じていた良き違和感は、当時のかかりつけの主治医にも報告をしました。

 報告はしましたが、頷かれるだけで、特段、その原因にアプローチしたコメントはありませんでした。

 そのため、私にとっては、不思議な感じは続き、大きな疑問を持ち続けることとなりました。

さくら

なぜ、母は認知症なのに、道徳だけは妙にしっかりと凛としたまま強いのか?

 そして、母の在宅介護の日々を続け、母の観察を続けていたある日のことです。

さくら

あっ、そういうことかぁ。

 母の観察を通じて、認知症とは何かの観察も続けていた私は、ある視点に気づくわけです。

さくら

頭、使ってないんだな・・・、きっと。

 ここからですね、私なりの認知症研究が始まったのは。

 そして、私なりに、ではありますが、母が最期を迎えるまでには、≪ 認知症であっても認知症症状を表面化させない ≫取組を完成させるのでした。

 「介護『なんか』と馬鹿にしているから、何やってもダメなんだ。」

 母から、そうお叱りを受けてからではありますが、母の介護というよりも、母という存在、生命とは何か、そして認知症と観察や洞察を深めていく日々へと変わっていったのが私の在宅介護であった、と今に振返ってみてよく判ります。

 もともと、未知なる世界への探求は学生の頃より志し、研究者の道も歩んでみたいなと思っていた時期もあり、在宅介護の日々の感じ方、視点そのものが変わっていきました。

 そして、この観察や洞察の結果が、私にとって、大きな無形の財産にもなっています。

 それが、≪ 認知症であっても認知症症状を表面化させない ≫取組です。

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