在宅介護が始り、介護サービスを利用するようになってきた時に、特に認知症を患った高齢の親御様の在宅介護を担う立場であれば、判っておかなければいけない違いがあります。
それが、『生活』と『暮らし』の違い。
一例を挙げましょう。お家で焼きそばを作ろうと思って買い物に出かけて食材を求め金銭を支払い、帰宅します。ここまでは『生活』です。
そこからどう美味しく作ろうか。家族みんなでどう食べると楽しく美味しいだろうか。よし!、鉄板焼きで家族でワイワイしながら分け合ってガーデンで食べよう!、これが『暮らし』です。
認知症は『生活』が難しくなりますが、『暮らし』は難しくなりません。『暮らし』の品質で認知症の悪化を防ぐのです。
できないところはできないにすぎない
私の身内の伯母も認知症に罹患していますが、暗算、計算は私よりはるかに早くできます。
これには、驚きます。
文章の理解もそつなくこなしますが、曜日がよくわからなくなりました。
私の母も、曜日がよくわからなくなりました。
このお二人に、今日の日付をわかってもらおうと思って、日めくりカレンダーを用意したとします。
朝、起きたら一枚めくってね。
うん、わかったよ。
そんなやり取りをして、朝起きても、まず日めくりカレンダーをめくることはありません。
ここで、認知症介護が初めてだと、『イラッ』とするかもしれませんね。
今日は何月何日で何曜日だと判るように日めくりカレンダーを用意したのに、どうしてめくってくれないのかと。
最初は、できなくなったところを、どうにかがんばって出来るようになってほしいと思うものかもしれません。
でも、よく考えてみてください。
日付や曜日って、それほど大事ですか?
特に、ご長寿になっても時間に縛られて『生活』している方がよほど苦しいはずです。
できるところだけで勝ブ
在宅介護中の私の朝は、寝ている実母を起こしてあげるところからスタートでした。
これで、生活のリズムを一緒にできます。
天気や暑さ、寒さの話もします。
着替えも用意してあげます。
ひとりで選ぶのが困難だからですが、選んだあげたものは少し手伝ってあげればキチンと着衣できます。
認知症介護が初めての頃は、問題を着衣ができるかどうかにフォーカスしがちです。
ハッキリ言えば、長寿の方々に流行を取り入れたファッション・コーディネイトは無理ですね。
私の在宅介護では、母には、いわゆるお年寄りが着る装いはさせずに、私や家内と似たような感じのコーディネイトをしてもらいました。
ですから、私が装いを選んでいくわけですが、ポイントは、そのファッションを私も、家内も、母も一緒に≪ 楽しむ ≫のが、もの凄く重要なのです。
つまり、何を着衣すれば良いのかは『生活』になります。
一方で、そのファッションにより気持ちが華やぎ、似合うとか、似合わないだとか、会話をしながら笑い合います。
『暮らし』を一緒に楽しむとはこういうことなのです。
ここに着衣が出来る、できないという問題は全く度外視され、母にとって、出来るところで勝ブしている様子が想像できるかと思います。
できないところはお互い様
認知症の母に出来て、私にはできないこともたくさんあります。
例えば、この記事のアイキャッチ画像にあるお手玉。
写真はお手玉2つでウォーミング・アップをしていますが、ハンドリングはかなり高速です。
4つは落としますが、3つはバリエーションも2パターンあって、母との在宅介護生活で、よく披露してもらいました。
今のあなたに出来ますか?
認知症は、アホになる病気だとか、わけがわからなくなる病気だとか思っていたら間違います。
何が出来て、何が出来ないのか。
出来ないところで『生活』に悪影響があるところを支援する。
出来るところは、一緒に『暮らし』を楽しむ。
在宅介護のキーパーソンの持つべき大切な視点であり、『生活』と『暮らし』の区別をしっかりとつけてください。
この区別ができないので、いつまでも認知症の親御様に辛辣に接してしまうのです。
この記事から気づいていただきたい大事なポイントがあります。
なぜ、認知症なのに、ジャグリング、お手玉が軽々と出来てしまうと思いますか?
少なくとも、私は認知症ではありませんが、そう簡単においそれとはできません。かなり練習が必要です。
実は、この疑問への答えはすでに私は出しているのですが、これが認知症症状を表面化させないとても、とても、重要なポイントなのです。
この答えを知り、その答えを活かすためにも、まずは『生活』と『暮らし』の違いを見極めてください。