この記事は、ぜひ世の子育て中のお母様方にも聞いていただきたい内容です。
介護施設と聞くと誰もが通いたいとは思っていないでしょう。
ただ、別な側面から見ると普通に社会の縮図です。
人同士の現実的なコミュニケーションが活発な場所です。発語できない方もいらっしゃいますが、アイコンタクトや口元の動き、そして手と手の触れ合いなどを通じて、盛んにコミュニケーションが行われます。
そこには、日常の社会と変わらない喜怒哀楽の流れが存在します。
この記事では、ある日、デイサービスから帰宅した実母の≪今日の出来事≫を紹介します。
ご長寿の方々同士のお話はあまり表に出ません
ご長寿の介護に関わる情報では、介護施設で働く人の立場であったり、在宅で介護する子の立場による発信が多く見受けられます。
ご長寿の方々同士のお話も、介護施設スタッフが取り上げるなどする内容をたまに見かけますが、そう多くありません。
それもそのはずで、介護施設スタッフもお一人で何人もの利用者に目配り、気配りしなくてはいけませんから、利用しているご長寿の方々の会話にずっとお付き合いできるわけではありません。
私の母の場合、私と同居を始めてからというもの、要介護3の認知症を患っているとは思えないほどの復活力をみせつつあるところでした。
実は、この復活力については、いずれかのタイミングで、私の認知症症状を表面化させない取組として紹介するつもりでいますが、今は、そうなんだなぁ、という程度で捉えてくださると有難いです。
というのも、デイサービスから帰宅すると、≪今日の出来事≫を私に話をしてくれます。
でも、私は、『おや?』と思うのです。
認知症は、物忘れすると言われていますが、実母の≪今日の出来事≫のお話は色鮮やかで事実なのです。
そんなある日、母は、≪今日の出来事≫のなかで、入浴時の話を私に聞かせてくれました。
二つのおっぱいで子育てした誇りを持ちなさい
母が最初に通ったデイサービスは、大浴場を完備していて、それが大きなウリの施設でした。
私も見学した際には、広々していて家のお風呂よりずっと気持ちが良さそうに感じました。
ある程度の規模のデイサービスで利用するご長寿の方々も多くいらっしゃる中で、複数人の同性同士が順番に入浴する流れだったようです。
ある日、私の母が入浴のサービスを受けた時の話です。
すでに、何人かの女性のご長寿の方々が先に湯船に入っていて、楽しそうに話をしていました。
その女性のご長寿の方々とも、母も兼ねてからコミュニケーションをとっていた顔見知りの方々だったようです。
母も湯船に入って、ゆっくりしていると、先に湯船につかってた女性のご長寿の方々の会話が母の耳に届きます。
やっぱり、おっぱいは大きい方が良いと思う?
それとも小さいほうが良いと思う?
それは、大きい方がいいに決まってるじゃない♪
そうかしら?
じゃあ、せっかくだから、あなたにも聞いてみようかしら。
ねぇ、あなたはどう思う?
といわれて、私の母に、そんなおっぱいの話が振られたようです。
あのね。おっぱいは大きい、小さいじゃないの。
私たち女性はね、この二つのおっぱいで子供をしっかりと育てきた。
女性はね、このことに誇りを持たなくてはいけないの!
あなた、さすがよね~。
まぁ、このような≪今日の出来事≫を、母は私に話をしてくれるわけです。
そして、この話を私に聞かせた後に、母は、こうも私に尋ねるのです。
けんちゃん、あなたはどう思うの?
えっ?
私は、・・・えぇ、おかげさまで育ててくださった側なので感謝しかございません。
そうでしょ。大事なことなのよ♪
母と私のそんな会話が終わる頃、我が家の在宅介護の一日に帳が下りてきます。
本当の認知症観
この記事は、2024年12月に書いています。
政府は、≪新しい認知症観≫を打ち出しました。
でもね、新しくても、古くても、親御様を認知症患者として観るのは間違いです。
それを差別と言います。
もちろん、私も最初からこの差別が判っていたわけではありません。
この記事を読んでくださっている方々のうち、母が話してくれた≪今日の出来事≫のコミュニケーションで、私が母を認知症患者として扱っているように想像する方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。
おそらく、極めて少ないと思います。
認知症に限りません。
接する人が、パーキンソン病を患っていようとも、車いすであろうと、発語が難しい状態であっても、その人として向き合ってみる。
別の言い方をすれば、その人の心だけを観察してみる。
実は、母の≪今日の出来事≫にあるおっぱいの話は、それを明確に示唆していることがご理解いただけるのではないでしょうか。
当たり前ですが、大きい小さいではない、つまりは身体の状態の異なりが問題ではない、と明言しています。
今の世で、子育てに奮闘しているお母様にお役に立つ内容であれば幸いです。
世間を見渡してみると、親御様の話を聞けないという方々もいらっしゃるようですね。
介護できない子と、介護できる子の違いは、親離れ・子離れの有無が大事というのが私の見解ですが、その有無は、第三者が簡単に判別できてしまいます。
年老いた親御様を介護できない子は、その人生で思う存分、才覚を発揮して社会に貢献したことがありません。
社会にしっかりと貢献し、自他ともにある程度、活躍が出来た、実績を残したという人は、親御様に対して、≪産んでくれてありがとう≫という感謝と、苦労して育ててくれたことへの尊敬がしっかりと確立されています。
当然、そこにはこの記事で紹介した母のおっぱいの話があるわけです。
私を育ててくれたことに誇りをもってくださっている女性が母親です。
そんな親の介護すらできずに逃げ出すなんてことは、言語道断。
この記事の話が理解できれば、今日から誰もが年老いた親御様への介護が容易にできるようになるはずです。