認知症を介護する家庭の作り方|キックオフ

 新天地で、新居に、十数年ものあいだ、一緒に住んでなかった私と母。お付き合いは長くても本格的な同居の無かった私と家内。もちろん、母と家内は初めての同居。

 そんなお三方が一緒に暮らし始め、しかも母が認知症を患っているという状態から、在宅介護が本格的に幕開けします。

 何事も最初が肝心です。

 そして、なんといってもマネジメント力が問われます。

 ハッキリ申し上げましょう。

 会社のマネジメントの方がはるかに楽です。(笑)

もくじ

キーパーソンは誰なのか?

 会社や組織と同様に、年老いた親御様の在宅介護には、家庭においてもまったく同様にマネジメントが必要です。

 特に、親御様が認知症を患っている場合、ほぼ絶対的に必要となるのが医療・介護のサービス支援です。

 医療・介護のサービス支援を受けるということは、外部のヒューマン・リソース(人的支援)の導入です。

 そのためには、まずキーパーソンは誰なのか?

 キーパーソンとは、認知症を患っている親御様の在宅介護を成功裏に導き、全ての責任を負う最重要人物です。

 これをハッキリとさせないといけません。

 当然、介護を受けるのは、年老いた親御様です。

 しかし、在宅介護をプロジェクトにたとえれば、そのマネジャーは、介護する立場の人間になります。

 また、在宅介護のプロジェクト完遂に待っているのは、見も蓋もない言い方をして申し訳ありませんが、介護を受けてくれた親の寿命で終わります。

 ですから、老いと病に苦しむ親を助け、最期まで幸せに寿命を全うさせる、それが在宅介護の成功と責任です。

 介護離婚するカップルの様子をみていると、これが判っていないように見受けます。

 もしくは、判っていて、カップルとして親の介護から逃げることによって、在宅介護の責任を回避して、仮初の平穏さに身を隠してしまいます。

 例えば、男性のお母様が認知症になって在宅介護が必要になった時に、奥様にキーパーソンをやらせてしまう場合があります。

 これは、介護離婚しやすい一例ですが、その一因は、在宅介護の完遂が、残された人の人生にどれだけプラスに寄与するかを知らないマヌケさと、完遂までの責任からの逃亡です。

 なので、親の介護は、まず実子がキーパーソンになる、これが基本になります。

 ただ、これを言うと、キーパーソンさん達は、必ず次を言い出します。

 『仕事が忙しいし・・・。』とか、『家計が回らないし・・・。』などと宣います。

仕事は言い訳でしかありません

 命の面倒を他人に押し付けたり、命を見捨てる以上にしなければならない仕事があるのなら、是非、教えてください。

 もしくは、その命が、育ててくれた恩のある親の命であり、その命が認知症を患っているならば、その介護を他人に押し付けるとか、もしくは見捨ててもかわないといった理由で、優先する仕事があるのなら、是非、教えてください。

 だから、優秀で、いわゆる出来る人だけが、介護離職を選択します。

 つまり、世の中で介護離職を問題視するような報道がされるのは、裏があるのです。

 この記事の下部に記してるサマリーに続きは譲りましょう。

もっとも信頼する人を最重要パートナーに

 配偶者がいる場合には、在宅介護を完遂するためには、その人が最重要パートナーになります。

 もしくは、配偶者がいないとか、他に信頼できる親族がいなければ、地域包括、ケアマネ、ドクター、看護師、介護施設長、介護スタッフといった医療・介護のサービスを提供してくれる協力的な人達が、最重要パートナーになります。

 この時、パートナーに対する接し方が、とても重要です。

 その重要さとは、協力者の共栄を図るという視点を持ち合わせていなければいけません。

 逆に言えば、丸投げはダメという姿勢です。

 例えば、私のように配偶者が最重要パートナーになるのであれば、その人のキャリアを在宅介護で潰してはいけません。

 なので、配偶者には、これまで通りに仕事を継続してもらいました。

 一方で、私の在宅介護では、母の性格と認知症ケアを鑑みて、私の仕事をシュリンクしました。

 具体的には、会社を経営していましたが、規模を縮小し、事務所を移転しました。

 その上で、私が母の在宅介護の責任を担っていた頃は、言葉すら馴染みのない在宅勤務に切り換えです。

 在宅で仕事をしながら、その上で介護サービスの提供を受けながら、何とか事業を回していきます。

 その上で、配偶者が出来る範疇についてだけ、在宅介護に参加してもらいますが、出来ないところは余程のことが無い限り、お願いしないというのが約束として大事になります。

 ここは曖昧にしてはいけません。

 曖昧にすると、パートナーの気持ちが休まらないのです。

 例えば、母の排泄介助は、配偶者ではなく、すべて私が担当します。

 なぜなら、母と家内は、これまで一緒に住んでいないからです。

 排泄介助は、出来上がった信頼関係があるとスムースに成り立つのですが、そこに至るには、ある程度の期間、コミュニケーションの時間をつかった信頼関係の構築が必要です。

 信頼関係が構築される前の排泄介助は、お互いに遠慮が出てしまいます。

 どれだけ年齢を重ねようとも、トイレは最期まで自分でしたいと思うのが当たり前です。

 そこに介助が入ると云う事は、よほどの信頼関係ができていなければ、スムースさに欠けてしまい、結果として後が大変になるのです。

 特に、私の家の介護においては、母が認知症に罹患しているのが判明してから、私と家内とお三方での同居になります。

 このような状況下では、生じる介護イベントによってお互いがストレスを感じ、母にとっては認知症の悪化、家内にとっては疲労増加によるキャリアへの悪影響、といったネガティブさを生じさせるのは不利益でしかありません。

 このように、在宅介護のある生活では、生じるイベントに対して、それこそ事細かく、まず最重要パートナーとルールを決めていく作業を重ねていきます。

 最重要パートナーがケアマネであれば、まず、自分がどのような在宅介護をするのか、その思想を固めるのが先決です。そのうえで、ケアマネには、どのような協力を仰げて、踏み込めない境界線はどこなのかをまずハッキリさせるところを話し合うところから始めます。

 介護離職による経済損失は何億円だとか、聞いたことありませんか?

 では、在宅介護を終えて、その成果を携えて仕事に復帰した時の経済効果は計算しないのでしょうか?

 おそらく、出来ないのです。理由は、簡単です。年老いた親御様の在宅介護『なんか』経済や仕事にプラスに影響することはないというのが大方の見解です。だから、世の中は、バカな人間ばかりで溢れかえります。

 親の介護は、親の死で終わりますが、親は命を懸けて、介護した子に死を教えます。かつて、≪葉隠れ≫という書があったのをご存じでしょうか?

 「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」が有名なフレーズです。

 第二次世界大戦では間違った理解で使うものだから特攻といった作戦で悲しみを後世に残してしまいましたが、本来の意味は、≪今を生きよ≫、というとてつもないパワフルさを教える書です。

 現代では、介護に全力を尽くした結果として死を学ぶからこそ、それが明日にも自分の身に起こり得る可能性があると判ってきます。死を知るからこそ、今しかないことを学び、本当の≪今を生きる≫が実践できるようになります。死を知らずして、今を生きると宣(のたま)う連中のそれとは次元の違う≪今を生きる≫です。

 だからこそ、親御様の在宅介護に真剣に取組み、完遂した人の心は逞しく、それこそ見違えるように成長するのです。

 そのような人が、会社に復帰した時、経済効果は計り知れないほど莫大な富をもたらすのですが、果たして、現在のマスコミ連中、今の若手経営者や、人事部長あたりが理解できるかどうか。

 ちなみに、5千円札の肖像で有名な新渡戸稲造が、明治の時代に日本の道徳は武士道にあるとして英語本のBushidoを発表しました。

 武士道のある国として日本を世界に紹介し、今なお、海外では絶賛の書物です。

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