品質保証、品質管理をご存じでしょうか?
モノ作り、アプリケーション・ソフト、各種サービスを世の中に提供するにあたって、誰もがそのモノや、サービスを安全に、そして安心して使えるようにする取り組みです。
企業の品質にかかる組織部門は地味ですが、市場不良を出さない最後の砦であり、責任重大な部署です。
英語表記だと、Quality Assurance(品質保証)、Quality Control(品質管理)になります。
生活に品質を組み合わせて市民権を得ている言葉に Quality of Life(生活の品質)というのもありますね。
これは、生活の質を高めるのが主眼のようですが、多くの人がQuality とは何かを知らずにテキトーに言葉を乱用しているように見受けます。
そもそも、このQualityは、なぜ必要で、管理しなくちゃいけなくて、保証しなくてはいけないのか?
それは、モノにしても、サービスにしても、また生活のしやすさといった点においても、それを享受する大切な人の命を守り、育むために必要であり、安心と安全の基準を満たし、それが永続的に維持できるようにする。
この目的があるのです。
でも、よく考えてみてください。
誰にとっても、そのQulityが最も求めらる身近な現場があるのです。
それは、大切な人の象徴でもある親御様への在宅介護です。在宅介護は、弱くなっていく命を守り、育む活動だからです。
在宅介護には品質管理思想が必要
自動車産業を例にとりましょう。
日本の自動車の安心感、信頼性は、世界ナンバーワンです。
ナンバーワンの地位を確立するに至るまでに、ドライバーや、同乗する人の命の安全と安心を考えに考え抜いた末に、また多くの失敗を糧に品質保証基準ができました。
品質保証、品質管理は、高い能力と費用と労力がかかります。
それは、設計段階で、品質を作り込むからです。
品質保証試験をパスするためにギリギリの設計をするのではなく、高品質な要求を統計的な確からしさとして設計段階で作り込むから自ずと高品質な品質保証試験をパスさせてきたのが、日本のテクノロジー産業でした。
簡素に言えば、世界で一番安全に、快適に、安心して、自動車で移動する品質とは何か?
このあるべき姿を追求してきた結果が、今日の日本の自動作産業です。
実は、在宅介護もこの品質管理思想の有無によって、それがかけがえのない時間と経験となるか、それとも苦痛以外なにものでもない経験になるか、を決めます
具体例を挙げれば、品質管理思想の有無により、在宅介護で年老いた親御様を寿命までしっかりと命を守り、育み、幸せな時間を過ごすことになるのか、それとも、メンドクセー介護作業に追われて怒り、それを親か、社会か、自分にぶつけて生活を破綻させるか、のいずれかになります。
品質目標を高く持つ
在宅介護の責任を担う際に、ほとんどの人が意識しないのが、目指すべき在宅介護のあるべき姿です。
かく言う私も、最初からそれが判っていたわけではありません。
ただ、認知症を患った在宅介護の経験を皮切りに、その責任を果たす日々の中で目指すべき在宅介護のあるべき姿、カッコつけた言い方をすれば品質目標を持つのが良いことに気づきました。
在宅介護を経験する前に社会人として経験した企業、プロジェクトへの参画からマネジメントとな何かをマスターしていたので、そう思うようになったのだと自分なりに分析しています。
いずれにしても、在宅介護は、年老いた親御様の排泄介助が仕事ではありません。
それは、単なる介護作業の一つに過ぎません。
在宅介護を通じて、年老いた親御様と子供でどのような未来を共同創造するのか?
これを問われるのが在宅介護です。
しかしながら、この問いかけに全く答えないのが、今、日本で多くはびこっている介護姿勢です。
なので、親の介護なんてまっぴらごめん、という人。
仕事が忙しいので、親の面倒なんかみてられないといって、逃げる人。
親の介護なんて、汚くて近寄りたくもない、という人。
未来の共同創造どころではない人たちで溢れかえっています。
一方で、年間約10万人の人が介護離職を選択して、親御様の介護に尽力するようです。
この記事は、そんな介護離職を選択できる人に向けた情報でもあるのです。
特に、介護離職を選択できる人は、能力の高い人、仕事も優秀にこなせる人が多いです。
ですから、その人達に向けて端的に言ってしまえば、在宅介護の取組は、品質管理の仕事と全く変わりが無いと言っても過言ではありません、ということをお伝えします。
この文言は、漠然と会社に行って、嫌なことから逃げ回り、困難をさけ、楽しいことだけを求め続けている人には意味が判らないと思います。
逆に言えば、品質管理思想を学び、その思想をプロダクト開発、ソフトウエア開発、またあらゆる分野でのサービス提供で高品質な活動を作り込んできた経験のある人であれば、新たな着眼点で在宅介護を捉えることが可能になります。
私の在宅介護を例にとり、どのような品質管理目標を設定したのかを紹介します。
これは、自分が責任を持つ在宅介護の経営思想・運営思想と同じ意味を持つと考えてもらって構いません。
私の在宅介護の品質管理目標
ここで、私の在宅介護における品質管理目標をお伝えします。
私は、実母、岳父、そして岳母の在宅介護を担いました。
実母は、認知症を患い、発症した当初はあらゆる認知症症状を露呈しました。
その症状に接するに、確かに介護する私は困惑するところもありましたが、本人が最も苦しいのがよく判りました。
そのため、実母の在宅介護では、≪ 認知症症状を表面化させない介護 ≫が品質管理目標になりました。
そこからですね、私の認知症研究が始まったのが。
実母を苦しませたくないですから。
その結果として、認知症は脳に問題が生じるのであって、心が認知症になるわけがないという事実を見出し、心を通わせるコミュニケーションを日常にすることによって、認知症症状を表面化させない介護を実践しました。
次に、岳父の介護では、≪ 苦を乗り越える ≫が品質管理目標になりました。
岳父は晩年に仏教を学んでおり、特段、お釈迦様の教えを持ち出さなくても、生きるとはどういうことなのかといった話を二人で積み重ねてきました。
最期を迎えていく日々において、病による苦しさはピークを迎えていきますが、その苦しさに目を背けず、静かに見つめていく姿勢を実践できるように介護支援し、まさに落ち着いた心で息を引き取っていく姿勢を実現されました。
そして、三度目の介護となる岳母の支援では、≪ 介護を必要としない介護の実践 ≫が品質管理目標になりました。
私にとって完成形ともいえる在宅介護のあるべき姿ですが、マインドフルネス(ヴィパッサナー・プラクティス)を介護実践の考え方の中心に置きました。
そもそも、私が指しているマインドフルネスとは、次の記事にまとめているので目を通してほしいのですが、スマホアプリにあるようなファッションとしての位置づけではありません。
その源流であるヴィパッサナー・プラクティスを一緒に岳母と学んでいくところから始めました。
これにより、認知症に罹患する心配は一切なく、また介護サービスも一切必要とせず、最期を迎える2~3週間程度のみ訪問医療、訪問看護サービスの提供を受けるに留まりました。
在宅介護は親御様の最期で終わりますが、品質管理の視点を取り入れただけで、在宅介護の取組は企業のどのビジネス・プロジェクトよりも高度で、高尚な実践が求められるのがご理解いただけると思います。
この気づきが、在宅介護経験をキャリアとするうえで重要なのです。
本来、認知症や、動けない状態にさえならなければ、介護はそれほど必要ではありません。
逆に言えば、認知症を遠ざけ、身体のメンテナンスを怠らず、心に落ち着きがあれば良いのです。
そのためには、介護のある生活に品質管理を作り込む実践が欠かせません。
本記事にあるように、親御様の健康と生活状態に合わせて、品質管理目標を設定し、その目標に到達、そして維持が出来るように情報、知識、技能を生活に作り込んでいく。
未だに介護離職が問題だとする報道も目にしますが、間違った情報に右往左往していては生きる本質は掴めません。