欲と怒りを抑える練習ー親は子に裏切られて目を覚ます

 ご存じでしょうか?

 裏切りは、最も身近で信頼を寄せた人が起こします。

 他人だろうと、実の子だろうと、平気で人を、そして親を裏切ります。

 でも、裏切る方が悪いと思っていませんか?

 確かに、良いか悪いかで言えば、裏切る方が悪い。

 しかし、利口か、馬鹿かで言えば、裏切られる方が馬鹿なのです。

 信頼してしまった。

 信用してしまった。

 信じてしまった。

 親子でも、兄弟姉妹でも、夫婦でも、ビジネスの現場でも同じことです。

 若ければ、この馬鹿さ加減をバネにして再起を図ります。

 成功者の多くが裏切られる経験をするのも、次のステップに向けて脇の甘さを無くすためです。

 そして、老いて病となるときに訪れるのが高齢者虐待です。

 この裏切りだけは最悪です。

 裏切られた親は、すでに若さ、気力、体力、経済力を失っています。

もくじ

愛着を手放せる人は少ない

実母

 たとえ犯罪を犯しても自分の子は悪くないと思うのが親なんだ。

 罪を犯したとしても、あなたがやったんじゃないよね、って信じたいんだ。

 このフレーズ、実母がまだしっかりしている頃に私に語ってくれましたが、親の愛着の行き過ぎた気持ちです。

 例えば、少年が関わった事件の親御様のコメントを聞くとどうでしょうか。

 この親にしてこの子ありだな。

 そんな風に思うしかないような言動に辟易とするものです。

 それぐらいに、親が子を大切に想う気持ちは強いものがあります。

 特に、女性の親はその傾向が強い。

 それが、子に対する愛着です。

 どんなに遅くても、割り引いても、親は自身の介護が始まるまでに愛着は手放さないといけません。

 でも、世の中からオレオレ詐欺が無くなるばかりか増える一方なのも、この手放せない、親の子に対する愛着を悪用しているためです。

 言葉で伝えたところで、愛着は手放せる人は極めて少数なのはご理解いただけると思います。

裏切りにより目が覚める

 子に対する愛着をどれだけ手放せない親御様でも、必ず手放せるケースがあります。

 それが、実の子により高齢者虐待を受けた時です。

 年老いた親御様は、その時、実の子から裏切られたと落胆します。

 その落胆ぶりは、見ていて気の毒になります。

 しかし、仕方のないことです。

 同時に、ようやく目が覚めます。

岳母

子離れしなくてはいけない・・・ 

 愛着もまた、親御様の勝手な期待を子に押し付けてきた現実に気づかれます。

 期待が成立たない現実を理解します。

欲は死を前に成り立たない

 岳母もまた、介護から逃げた子に怒鳴られるなどの行為を受けてきました。

 なぜ、どうして、との思いが巡る気持ちは強くても、その気持ちに呑み込まれたままでは前に進みません。

 愛着が無ければ、子は育ちません。

 しかし、その愛着は手放さなくてはいけない代物である理解に及ぶ人はそう多くないのです。

さくら

 子供たちは親の介護からみな逃げてしまうものです。

 ですから、いよいよ晩年の手助けが必要な時期に期待していた子供から総スカンをくらい、一人で体の自由も利かないままの日常を過ごさなくてはいけないご高齢の方々なんて、たくさんいらっしゃいます。

 一人暮らしの高齢者が多いのもその理由です。

岳母

そうよね・・・ 

さくら

 それよりも、実の子から裏切られた時の気持ちを大切にバネにすべきです。

 愛着は成り立たない。愛着もまた期待であり、欲でしかない事実に気づくべきです。

 そして、その欲もすべて、生きたいという願望から生まれています。

 でも、お父さんがそれこそ命を懸けて教えてくれましたよね。人は必ず最期を迎える。であれば、その欲もまた成り立たない。

 だから、死を直視するという行為が重要性を増すわけです。

岳母

 今回のことでよくわかったわ。

 どれだけ、期待して、望んだところで、最期を迎えたら意味がないものね。

 もう、期待はしないように頑張ってみるわ。そのために、お父さんがあれだけ凛とした姿勢を示してくれて、最期を迎えたんですものね。

 いずれ、岳父が最期を迎えていった時の様子も記事にアップしていきますが、私が、最期を迎えていく岳父に伝えた言葉だけは、ここに紹介しておきます。

 ≪ お父さん、たまたま私は判るだけで、いまの苦しいお気持ちを家族の者に判って欲しいと思っても、それは無理があります。しかし、家族のだれもが、お父さんのこの状況を否が応でも経験します。そのとき、初めてお父さんの姿勢とお気持ちを痛いほど学びます。 ≫

 このように伝えたのち、岳父は、その後、残していく家族に向けてどう最期を迎えていくべきか、その姿勢を示してくれました。

 それは、凛とした、という言葉がもっともふさわしいでしょう。

 明らかに、家族にこの苦しみを判って欲しいという期待を手放していました。

 実際に、私と岳母で死について話をするとき、亡き岳父のこの姿勢をよく思い出してくれていました。

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