米国アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズさんもまた、ソニーのファウンダーであった盛田昭夫さんから強く影響を受けていた一人だったと聞いています。
令和の時代となり、日本では多くの日本人がアップル社のアイフォンを手にしていますが、初代のアイフォンのリファレンス・プロダクトは、当時、ソニーが手掛けていたハンドヘルド・コンピュータでした。ソニーでも、手のひらの上でネットワーク、コンピューティングを実現するヴィジョンは描かれていました。
しかし、時代はアップル社のアイフォンを主流に据えます。携帯電話をリ・デザインするジョブズさんの思想は見事というしかありませんが、私から見て、アイフォンが独り勝ちを収めた要因のひとつは、マン・マシンインターフェイスにあったと思っています。
というのも、ミレニアムの頃、私は、ディスプレイに指先で直接的にタッチするアクションが日本人に受け入れられるとは想像できなかったのをよく覚えています。綺麗好きな日本人が指先の油で画面が汚れるのを受け入れるとはとても思えませんでした。
そのため、当時の日本製のハンドヘルド・コンピューティング製品は、その多くがタッチペン搭載でした。しかし、時代の流れは、そんなこだわりに引っかかっているほうがおかしいとばかりに、ご覧の通りの世の中へと変わっていきました。
死は大きな決断の重要なツール
さて、そんなスティーブ・ジョブズさんも50代で膵臓癌に罹患し、医師から余命宣告を受けます。死に直面したジョブスさんは、次のように仰っていたそうです。
(死について)人生で大きな決断をするうえで、私が手にしたなかでも、もっとも重要なツールだった。
私が言うのはおこがましいですが、それをちょっと横におかせてもらって、流石、禅に傾倒していたジョブスさんです。
よく判っていらっしゃいます。
つまり、死を直視できたときに、今を生きる姿勢が完成します。
年齢を重ねるほど、大きな決断の連続になっていなければ、それは堕落した人生のはずです。
今を生きる姿勢は、盛田さんや、ジョブズさんを先頭に世の中に貢献する者たちにとって、誰もが目指すべき姿勢であることに異論はないはずです。
でも、どうすれば、その姿勢が身につくのか。
ご存じですか?
共に幸せに生きるために
会社を辞めて、年老いた親御様の在宅介護に専念しなければいけない状況に直面したとしましょう。
会社をお辞めになる決断は、おそらくその人にとってはとてつもなく大きな決断に感じるでしょう。
なぜなら、≪ 会社を辞める=生きられなくなる ≫、という妄想に囚われるからです。
親の介護をしながらどうやって生きていったらよいのか?
こんな疑問に苛まれるはずです。
もし苛まれるのでしたら、そんなあなた様に、ぜひ、考えて欲しい疑問もあります。
なぜ、親御様も、介護するあなた様も、共に幸せに生きる道を考えられないのでしょうか?
親御様の介護のために、勤めている企業をやめなければいけない選択に迫られているとすれば、それは、あなた様に飛躍のチャンスが訪れています。
仕事は他者のために
私によく言われる質問のひとつに、≪ 親の介護をしながら、どうやって生活を成り立たせたのですか? ≫という内容があります。
そのための行動は楽ではありませんが、答えは実に簡単です。
年老いた親も、自分も、配偶者も、家族みんなで幸せに生活するにはどうすれば良いのか。
その課題が眼前に生じているのが、在宅介護です。
ですから、その解答を日々、出し続けていくに過ぎません。
要するに、いま、この世の中で社会人と言われいる人たちが仕事をしている姿勢は、自分のためです。
しかし、盛田さんや、ジョブズさんの仕事に対する姿勢は、他者よりも自分の幸せを優先したでしょうか?
答えは、ノーです。
年老いた親御様の在宅介護も同じことです。
他者の幸せのために仕事をするのが、真の社会人です。
その結果が自分にフィードバックされている程度の認知は、真の社会人の新人研修内容です。
この心構えがある人に、≪ 親の介護をしながら、どうやって生活を成り立たせたのですか? ≫という疑問は生まれても、苛まれません。
波乱万丈の人生を歩まれたジョブズさんだからこそ、死を突きつけられても、そのチャンスを最大限に世の中に還元しています。
それが、≪ (死について)人生で大きな決断をするうえで、私が手にしたなかでも、もっとも重要なツールだった。 ≫というフレーズに集約されています。
在宅介護に真剣に取組むあなた様も、このフレーズを使える心境に立っている自覚を持って良いのです。
なぜなら、介護をさせてもらう大切な親御様もまた、ひとりで最期に向き合い、重要な決断を下している日々を過ごしており、在宅介護はそれを完璧に支えきる取組なのです。
なぜ、高齢化社会が問題として取り上げられているのか。
それをよく観察してみてください。
誰もが幸せに生きたいと思っているにもかかわらず、年齢を重ねるほど問題と言われる社会が正常か、否か。
情報は発信者に有利です。高齢化社会が問題だと発信する側の利益は何かを看破してみるのをお勧めします。
年老いた親御様の在宅介護もまた、問題ではありません。
問題としてしか見れないような視点しか持ちえないのが問題なのです。