2024年5月– date –
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介護と仕事を相互に活かす
介護離職は自由へのパスポート
毎年10万人前後の人が介護離職をすると聞きます。例えば東京都だと昭島市の人口が12万人弱です。相当な人数です。しかし、報道では未だにそれが問題だと報じられますが、違います。年老いた親御様の在宅介護は能力が高くないとできません。なぜなら、親の介護は人間で生まれてきた以上、人間以上で死ぬための登竜門的な取組だからです。これをチャンスと言い、実は相当な数の人が掴んでいます。 -
イチオシの本
現代人のための瞑想法
この著書は、岳母への介護で、その生活において瞑想実践を取り入れてもらうにあたって最初に一緒に読んだ本です。岳母は80代後半でしたが、抵抗感なく読み進めてくれるほど、平易に教えてくださっている内容です。三度目となる岳母の介護は、マインドフルネスを存分に取り入れたものであったと言っても過言ではありません。私がお伝えしている≪介護を必要としない介護≫の実践には不可欠な取り組みでもあるのです。 -
在宅介護の回顧録
認知症を遠ざけるー脳の活性化?何それ。ー
脳を活性化すると称して、計算ドリル、塗り絵といった小学校でやるようなペーパートレーニングをやらされるのが介護施設です。そもそも、なんですかね、脳の活性化って。そのようなトレーニングで認知症が改善するとか、進行しない効果があるなら、認知症になる前から取り組めば認知症に罹患しないはずですよね。70歳を超えたら皆、毎日、塗り絵を義務化すれば、日本はとっくに高齢者の認知症など無縁の世界です。こんな当たり前のことさえも洞察できない思考停止の状態が介護の世界なのです。 -
イチオシの本
がんを治す心の力
私にとって三度目となる岳母の介護では、この著書の内容も参考にしながら、ヴィパッサナー・プラクティスを取り入れていきました。実母の最初の介護では、≪認知症症状を表面化させない介護の実践≫でしたが、三度目となる岳母の介護では、≪介護を必要としない介護の実践≫を狙いました。その中心に据えたコンセプトは、認知症に罹患させない。その目標を入り口として、ヴィパッサナー・プラクティスを取り入れ、認知症を遠ざけていく生活を実践していきました。 -
在宅介護の回顧録
認知症を斬るー認知症と薬物中毒ー
薬物中毒者も、認知症と似たような症状を呈すると聞きます。当たり前ですが、脳が委縮するためです。しかし、薬物を摂取しなくても、極度の不安、もしくは興奮に苛まれるような環境に置かれ続ける日常でも、脳の萎縮は認められるようになります。結果、そのような環境に置かれ続けると認知症のリスクは高まります。逆に言えば、認知症予防は不安、興奮といった刺激を受け続ける環境を避けるか、もし受けたとしてもその感情に呑み込まれない力を身に着けるところにある、というのが私の見解であり、仮説なのです。 -
在宅介護の回顧録
認知症を斬るー老いるとなぜ認知症に?ー
得られることのない期待と妄想を求め続け、欲と怒りが心を支配していると、脳はオーバーヒートすると考えています。心のありようによってオーバーヒートさせられた脳は、委縮が進みます。個人の見解ですが、このような欲と怒りが支配する心のありようが、老いを加速し、認知症を引き起こしていく最たるリスク要因ではないかと考えています。もっと言えば、老いていく人生のプロセスの上で、心のありようが与える脳への影響が認知症発生の有無を決める、という見解と仮説を私は持っています。 -
在宅介護の回顧録
認知症を斬るー安心してトイレができるー
認知症を患った実母の在宅介護で、トイレ介助をさせて欲しいとお願いしたところが信頼関係を構築する上でのスタートです。二世帯住宅で長年、共に生活を営んでいても、トイレ介助は絶対にさせたくない、したくない親子関係だってあるのです。むしろ、近くに住んでいたとしても在宅介護はままならないなんてザラです。逆に言えば、トイレ介助の成功の可否が、在宅介護を上手くやっていけるのか、それとも出来なくなるのかの分水嶺といっても過言ではありません。 -
在宅介護の回顧録
認知症を斬る―トイレ介助の認識の境界―
健常者から見れば、実の親御様であっても、初めのうちは認知症症状の行動は理解できません。しかし、どこまでが判っていて、どこからが判らなくなるのか。その境界を見定めて、気づいてさしあげることで認知症への理解が始まります。不穏や、理解できない行動をとるのはなぜか?もしかすると、親御様が何がしかの答えや解決策を探してのことかな?、とアプローチを深めていくと自立の支援と手助けの両立が可能になります。この延長に認知症症状を表面化させず、一緒に楽しく暮らせる答えがある、というのが私の経験です。 -
在宅介護の回顧録
認知症を斬る―判る/判らないの境界―
認知症に罹患すると何も判らなくなると思われがちですが、違います。発語ができる健康状態で話をしてみると昔のことは覚えていたり、今、感じている嫌なことは嫌とハッキリとした意思表示もされます。もし、認知症が何も判らなくなる病気であれば、こうはなりません。ポイントは、判らなくなるところ、判るところ、その境界が明確にある認識と見定めです。
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