2024年4月– date –
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在宅介護の回顧録
認知症を斬るー認知症と≪言われる≫のが辛いのですー
認知症に罹患すると、世間はその人を≪認知症を患った人≫とみなします。ハッキリと申し上げましょう。これ、≪その人じゃない≫、と言われているのと同じです。認知症と言われる本人がどれだけ辛いか。想像できますか?認知症に限りません。地球には病気で差別をする歴史があるのです。 -
在宅介護の回顧録
認知症を斬るー信頼関係の構築がまず最初ー
年老いた親御様の在宅介護で認知症を患っているならば決して蔑ろにしてはいけないのが親子の信頼関係です。親子だからといって信頼関係が成立っているとは限りません。もし、あなたが親の立場であるとき、子の前でパンツをおろせますか?介護する子の立場であるとき、親が当たり前にパンツをおろして介護させてくれますか?このようなことは言うまでもなく当たり前です、と胸を張って言えるような関係構築ができていなければ、意義のある在宅介護は始まらないのです。 -
在宅介護の回顧録
認知症を斬るー心は認知症に罹患しないー
例えば、認知症を患い、トイレが上手くできない親御様に接すると、介護する子の立場としては怒りませんか?でも、一方で、認知症を患った人に怒ってはいけない、というのを耳にされるでしょう。これでは、在宅介護は困難な坂道を転げ落ちるかのような作業が、ずっと続くかのような未来に落ち込むはずです。また、ここに明確な解決策を出せる人は、そう多くはありません。なぜなら、認知症は肉体(脳も肉体の一部です)に生じる病であって、心に生じるわけではない、この意味が判らないのです。 -
在宅介護の回顧録
認知症を斬るーなぜ心を学ばないといけないのかー
私は、アルツハイマー型認知症を患った実母の介護経験から、認知症を24/7で観察し、実母とのコミュニケーションを通じて、さまざまな認知症の知見を得ました。その上で、認知症は治りませんが、認知症症状を表面化させないためにはどうすればよいのか。そのノウハウを自分なりに獲得しました。そして、三度目の介護となる岳母との生活では、認知症を遠ざけ、介護を必要としない介護の実践を試み、その介護スタイルを構築しました。 -
在宅介護の回顧録
親と子で協力して家庭を築く
核家族化が一般的になった現代では、家庭を築くというと、ご夫婦が子供を育てるイメージが一般的です。一方で、≪介護を必要としない介護≫を実現する上で構築するご家庭は、そのイメージとは異なってきます。ご高齢になる親御様と、介護する子で力を合わせて家庭を築いていくイメージです。親も、子も、このイメージへの積極性が問われるのが在宅介護の真の姿です。 -
在宅介護の回顧録
介護を必要としないのが本当の介護
私は三度目となる岳母の介護で、どう病を遠ざけ、生活状況を良好に保つのかに注力をおきました。結果として、いわゆる世の中のインフラ的に提供されている介護サービスとしては、病院での入院生活を除き、岳母が亡くなる2週間程度のみ最小限の訪問医療、訪問看護の提供を受けるにとどまりました。合わせて、岳母には認知症を煩わせることもありませんでした。自らのこの取組を≪介護を必要としない介護≫として、3度にわたる在宅介護経験の集大成と位置づけています。 -
イチオシの本
怒らないこと
令和の時代となっても、ハラスメントと呼ばれる行為がエスカレートしているのも、この≪怒り≫のコントロールを失っているからに他なりません。≪怒り≫をコントロールできない理由、それは人間の姿かたちをしてはいるけれども、精神が動物以下のまま、身体だけが成熟した生命のはびこりです。動物だって、気に入らないことがあっても不必要には怒りにまみれません。すぐに命を落とす羽目になるからです。それさえも判らず、≪怒り≫のコントロールさえもできていない現実。それが、ハラスメントという言葉に集約されているのではないでしょうか。在宅介護の現場では、それを高齢者虐待と称します。 -
在宅介護の回顧録
欲と怒りを抑える練習ー在宅介護のアンガーマネジメント
未来に期待するほど期待通りにならない現実に落胆します。年齢を重ねるほど期待通りの将来にはなっていきません。年齢を重ねるほど、最期が近づいているのです。にもかかわらず最期の日時を超えた期待は成り立たないですよね。その最期の日時だって、明後日かもしれません。明日かもしれません。ですから、年齢を重ねるほど、期待は成り立たない。明日が最期かもしれないのに明後日を計画しても意味ないからです。つまり、死を直視した人だけが将来の期待が≪ 成り立たない ≫事実を理解します。
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