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認知症症状を表面化させない視点
認知症を患うとこの世の終わりだ!みたいな先入観はまずおやめになったほうが賢明です。認知症にも種類があるので全てに当てはまるわけではありませんが、認知症を患った親を介護してみると最初に直面するのは、日によって状態が大きく異なるのに気づくはずです。ある日は、昔からの普段通りの様子に見受けられたかと思ったら、翌日には不穏となる。最初は、不思議でした。ただ、そのうち判ってくるのが、誰でも日によって、好調、不調はありますね。それが認知症を患うと少々、独特になるだけです。実は、このように判断できるようになる観察が、認知症症状を表面化させない視点なのです。 -
認知症症状を表面化させない介護の実践
認知症に罹患してもしなくても、あまり恐れる必要はないというのが私の経験則です。なぜなら、認知症は、脳の疾患であって、心は認知症にはなりません。心がしっかりしていれば、コミュニケーションも難しいものではない。認知症を患った実母の在宅介護実践と観察結果です。その理由?簡単です。コミュニケーションの基本は、「心を通わせる」。これに尽きます。 -
年老いた親に興味なんて無いでしょ?
コミュニケーションは、相手が居て成り立ちます。当たり前ですね。では、この当たり前に対してどの程度の深みがあるでしょうか?問題はここです。その深みは、相手への尊敬と興味を持つのが条件です。これも当たり前だと思うかもしれません。しかし、その尊敬と興味をもって、ご自身の年老いた親御様に接しているでしょうか?その親御様が認知症を患ったり、さまざまな病を患ったとしても変わらずに尊敬の念と興味をもってコミュニケーションしているでしょうか? -
認知症による要介護3のコミュニケーション
認知症を患って要介護3と聞くと、どのようなイメージを持ちますか?老後に一人で暮らすのは、ちょっと難しいかもしれません。なので、年老いた親御様を在宅で介護するようになります。しかしながら、コミュニケーションが取れなくなるかといえば、十二分に可能です。コミュニケーションが取れれば、普通に親と子の暮らしが成立ちます。でも、それが出来ないのはなぜか?認知症により要介護3であった私の母とのコミュニケーションから解き明かしましょう。 -
満開の桜
東京では、桜が満開に近いようです。お住いの地域では、いかがでしょうか。毎年、桜の開花を聞くと、母を連れてお花見に出かけていきました。最期を迎えた春は、車いすに乗ってもらい、連れていきました。アイキャッチの写真は、その後ろ姿です。一緒に桜を見ながら歩いた時間は戻ってきませんが、写真を振返るとその時の気持ちが鮮明によみがえります。 -
老いは喪失
在宅介護の真っ最中は、その日を乗り切っていくのに全力投球になります。そのため、昨日を振返る、1週間前を振返る、そのような余裕はありません。私が、回顧録として介護経験をまとめているのは、一つの出来事をキチンと振り返ることのできる、そのメリットを最大限に活かしたいため、というのも判ってきました。なぜなら、ある出来事は、その時に意味や価値が判らなくても、時間が経過することによって、点としてではなく、線を形成する要素として見えてくるからです。在宅介護は、今に集中しますが、それがどのような意味を持ってその後の人生に良い影響を及ぼすのか。その観点をご紹介します。 -
高齢者虐待・再び(在宅介護はオープンが基本)
犯罪が最も多い人間関係をご存じですか?それは、夫婦間であったり、家族間、親族間の人間関係です。ニュースで報じられる犯罪は、残虐性がクローズアップされるので、そのような犯罪が多いように思ってしまいがちです。しかし、現実は表に出てこないだけで、違うのです。あなたに危害を加えようとする最も可能性のある人間は、あなたが最も愛した人間なのです。 -
素晴らしいと感じた施設のサービス
いつもアップロードする記事とは趣を変え、母と私がお世話になり、とても素晴らしいと感じたデイサービス施設、その取組をご紹介しましょう。まず最初に紹介するのは、回転ずしに連れて行ってくれたことでした。もちろん、費用は家族が負担しますが、母はとても楽しかったと喜んでいました。小さな規模のデイサービス施設だからこそできる取組です。 -
別のデイサービス施設に移りました
ご長寿の方が利用されるデイサービスの一日は、およそパターン化されています。最初の頃は、新しいお友達もでき、また旧友に再会できるなど、新鮮さはありました。しかしながら、その新鮮さも徐々に薄れていきます。ある程度の施設規模だと数十人の利用者がいらっしゃるので、ひとりひとりに希望に細やかに対応するのはムリが生じます。 -
長寿になった時、最期に何を求めるのか
あなたが40代でも、50代、60代でも構いません。おそらく求めているものは、似たり寄ったりかもしれませんね。家族が健康で、幸せで、元気で、いじめにあったりせず、無難に勤めて、それなりに結婚して、マイホームがあって、さらには孫もできて、たまに旅行にいって、美味しいものを食べて、つつがなく今日を過ごせればよいと。では、そのようなあなたが最期を意識した時、人生に何を求めますか? -
明日、亡くなるかもしれない。それが在宅介護の本懐です。
明日、亡くなるかもしれない。大切な人とのお別れは、必ずやってきますがこの感覚を切実に持ち合わせている人は非常に少ないし、言われてもピンとこないはずです。しかし、この感覚を研ぎ澄ませてくれるのが、在宅介護の本懐です。逆に言えば、親御様の在宅介護を最期まで完遂した人は、この感覚を備えています。 -
似合わない髪形を強要される苦痛
認知症になってしまえば、髪型なんて気にもならなくなると思っていませんか?もし、そう思っていれば、その考えを改めなくてはいけません。介護を必要とするご長寿の方が、男性であれ、女性であれ、髪型を整える、身だしなみを整えるというのは非常に重要な行為であり取組です。 -
東京では梅が咲き誇る頃です
東京では梅が咲き誇る時期になりました。寒波が来ていたので、見ごろを楽しめる時期が延びているかもしれませんね。 -
なんでこの年になって塗り絵をしなくちゃいけないの?
人とコミュニケーションをしても、判り合えない関係ほど無味乾燥のないものはありません。あなたはあなた、わたしはわたし。確かにその通りなのですが、お互いに理解しえない関係が深まれば、その人間関係は破綻してきます。話をしても、聞いてもらえない、そのような状況が重なってくると縁は徐々になくなっていきます。母もまた、慣れ親しみのあるデイサービス施設でも、別の施設に移っていく経験をしていきます。 -
人生を変える練習。ブッダの意志強化術
散りばめられたサクセスストーリーに多くの人が目を向けます。一方で、年老いた親御様の在宅介護こそ、誰もが完遂すべき素晴らしい目標だといったところで、ほとんどの人が見向きもしませんね。だからこそ、達成すべき目標になります。なぜなら、在宅介護がはじまれば、カッコつけられない日々が続きますが、それが最もカッコいい生き方だと気づける人は、そう多くないのです。